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相澤英之 のメッセージ 「地声寸言」 |
2018.09.14リリース |
第二百七十三回 <新聞> |
この頃何だか新聞がつまらなくなったという声を聞く、第一、若い人は新聞を定期的にとらないどころか、全くとらない人も少なくないといわれている。新聞に代わるメディアが発達して来た見返りとも言えよう。
新聞社の経営も大へんだろうと思う。人件費は安くはない。記者も要る、配達員も要る。 昔は、配達人は同時に加入勧誘員でもあったため数社の配達を兼ねるなんてことはなかったと思うが、今は昔の競争相手の新聞も含めて数社の配達を兼ねる例が少ないらしい。 私の家は、役所に勤務している頃から七、八社の新聞をとっていたから、その辺のことは、ある程度わかるのである。 そんなに読めるか、と尋ねられれば、ノーと言わざるをえない。大体見出しを見て、もっと読みたいと思うページは破っておいて、後で読むことにいしているが、それとて、ちょっとほっておくと、一山できて仕舞う。 然し、何紙もとりつづけていると、新聞名を見ないでも、あ、これは何紙だな、ということが大体わかるようになった。それぞれ多少の特色は備えているし、首筆なり、何なりの思想の差もおぼろげながらわかるのである。それが何紙もとる値打ちと言えば、値打ちである。 今はどうか知らないが、以前は役所は大てい赤旗をとっていた。愛読者の中に数えられるかも知れないが、別に役人が赤化したわけではない。 嫌な質問が共産党の議員から発せられることが多かったからである。そうなると、質問がどっちの方へ向ってくるか、了め予期できた方がついにまっている。別にこのことが悪かれるような質問には備えておかなければならないし、それは赤旗が実質予告してくれることが多いからである。 国会での答弁は(何も国会に限ったことではないが)、短い方がいい、言葉尻をつかまえられる、ということもあるし、又答弁の一ことが墓穴を掘る、ということも屡々あることであって、たった一言の答弁で辞めることになった大臣が何人かいる。 もっとも、私どもが仕えた大臣の中には、何を聞かれても、「その件に関しましては、慎重審議の結果報告いたしますの答弁を繰り返すだけとゆう人もいて、遂には、彼の答弁の始まる前に野党席から「慎重審議か」というヤジが飛んで、みんながドンと笑って一応終りとなる人もいた。昔は、予算委員会などはともかくとして、一般の委員会はそれで一応通してくれる、とゆうこともあったから、大臣家業も楽なもんだ、と思うこともあった。 今は、良きにつけ、悪しきにつけ、その程度の答弁ではなかなか通してくれなくなって来ている。もっとも、大臣以外の政府委員が答弁することも多かったから、それはそれで質問の効果はあったのだろうと思う。 私は、主計局で二十年余働いていたから沢山の大臣の答弁も聴かせて貰った。さあ、その中で一番答弁のうまかったのは、岸総理ではなかろうか。抜い目なく、長からず、しかも尾を摑ませない答弁は野党も困ったろう、と思う。 答弁が機関銃のように早いが、妙に説得力のあったのは、田中角栄総理だったが、答弁の速記を見てみると、支体が離減裂なくころがある。大平総理、水田大蔵大臣は答弁に立ち上つく、暫らく黙っているので、どうしたかとおもっていると、答弁が始まるが、文章にしてみると、いずれも立派なものであった。 いずれにしても、今の新米大臣みたいに、一言、一言、事務方に教えられたようにしてしゃべれない人は、少なかったように思う。 |