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相澤英之 のメッセージ 「地声寸言」 |
2017.05.09リリース |
第二百五十七回 <試行錯誤> |
世の中のことはやってみてみなければわからないものだ、とでも言う意味かな、と思う。
いくら議論しても、うまく結論が出ない時などは、そうするより仕方がない気がする。 だが俟てよ。そう言えるのは、大したことではなくて、金も、時間もある時の話ではなかろうか。 なんだか、なぞのような言葉を並べているのは、実は、交通政策のことである。 一国の交通政策は、ただ、日本で言えば国交省だけで決めきれるものではない。以前は、経済企画庁、運輸省、建設省などが関与していた。それは、いいとして、私は、以前も現在も、真の意味における交通政策は一体どこが掌握しているのか真剣に考えているのかな、という気がしたならない。 例えば、地上と空、陸上と会場、同じ陸上でも都市内交通と都市間交通、自動車とバス、市街電車などなど各種の交通機関、交通手段について、順を追つて、その利便性、建設の経費などを総合的に考えられているか、疑わしく思うことがある。 例えば、一頃は都市内の電車は殆んど一斉に廃止されたが、今は電車も見直されつつある、新幹線と飛行機、船(とくに貨物船)と鉄道、高速道と電車、新幹線とリニアモーターカー、長距離バスと汽車(電車)、などなど。も一度言う、一体どこで各種各層の交通機関の総合的調整が行われているのだろうか。 そして、現実には各種の輸送手段は競合し、重複し、一貫していないのではないか。 一例を言おう。例えば、最も交通量の多いと思われる東京―大阪間に飛行機、鉄道(普通・新幹線・リニアモーターカー)、高速バスなどの関連インフラ投資は絶対に必要だったのか。 かつて、田中総理は列島改造を唱え、主として新幹線、高速道路の全国網の建設を打ちだした。それはそれで意義はあって、事実遅ればせながら、毎年度の国の予算で実現しつつある。然し、それだけで充分と言えようか、私にはどうも、そう思えないのである。 いづれにしても、試行錯誤の過程はまぬがれ難いのかも知れないが、も一度問題の新たの所在をよく見つめ直して、国としての、それこそ百年の大計を打ち出して欲しいものと思っている。 |