back 代表理事 相澤英之 のメッセージ
       「地声寸言」
  2016.10.20リリース

第二百五十二回 <百間は一見にしかず>
 大学を出て、直ぐに大蔵省に入省し、一週間分の月給を貰って六年の兵役、その間北支、中支、北鮮に約三年、終戦となり、大蔵省に戻って二十七年、鳥取県から衆議院議員の選挙に出て、準備も含めて、約三十年、弁護士となって約十五年、当年とって九十七才。
 その間専ら仕事で各地を歩いた。そして、大なり、小なり、各地の状態をかいま見ることができた。
 出かける準備をして行かれなかった所もある。日本国内は少なくとも一晩は各県に泊ってみたいと思い、佐賀県が最後に残ったが、これも中学同級生の辻の選挙応援に行って一泊した。イキ、ツシマはまだだ。小笠原列島、利尻、奥尻、千島列島などもまだだ、近所は大てい一度は出かけている。豪古は出張する用務がなかった。支那は西の方、オーストラリア、ニュージーランドも未だ。
 オーストラリアは地元で百人もの旅行団を編成して出かける寸前、予算委員はダメといわれ、代人も立ててあると言ってもダメと怒鳴られた。利尻は稚内まで行ったが、飛行機の燃料を入れ間違えたとかで飛べず仕舞。アフリカはエジプト、リビア、南ア、などを除く国々(殆んど行っていないに等しい)、ヨーロッパの国々(たとえば旧チェコの国々、バルト三国など)中南米の国々(ブラジル、アルゼンチン、コスタリカ、パナマなどを除く)、行きそこなっている。
 まあ、一般の日本人よりは仕事の関係もあって行っている方だろう。
 仕事から解放されるようになったら、夫婦であちらこちら旅行をしたいと思っていたのに、身体の調子がこれでは、望みをはたせそうにないのは、甚だ残念である。もっと早く、仕事などから手を放すべきだったと思っていたが、なかなかそうはいかない。もっとも、仕事を続けているのも健康法の一つか、と思っていたから。
 それらの国のなかで、一度は行きたかったのは何処かと聞かれると、返事を返すに困るが、敢て言うと、オーストラリアやニュージーランドではないか。
 日本の国内では、やはり小笠原やイキ・ツシマ、奄美の島々と言えようか。
 私は、不思議(ではないかも知れないが)に山は余り興味をもっていない。散々苦労して、時に生命をかけるような危ない日々あって、又、そこから降りてくるなど、詰まらないと思っていたからである。それよりもも一度ヨットを買って、あちこち走ってみたい。
 地方で言えば、北海道には、未だに愛着を持っている。その余の日本の土地と違って、どこか大陸的な雰囲気を持っていて、何か開拓の希望を満してくれるようなところがあるからである。
 北海道は議員になった時から開発特別委員会の委員をしていたし、委員長もやった。前後六〇ペンは出張したと思う。もっとも半分は選挙応援のためだったかな、と思う。
 初めて、北海道へ出張した時、冬だったが、汽車の中ではダルマ・ストーブに石炭が真赤に燃えていた。車掌から何回も注意されながら、みんなで歌を唱ったものである。田舎の列車もいいもんだと思った。
 そして釧路に朝ついて、一番、新しいタラバガニをむしって腹一杯食べた、そのおいしさ。石川啄木の彼女がいたという旅館で又一パイやりながらの合唱。何か解放されていていいもんだと思った。
 
 


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