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相澤英之 のメッセージ 「地声寸言」 |
2016.10.11リリース |
第二百五十回 <昇進> |
学校を卒業して、実社会で働くようになるのが普通の人の人生のコースであるが、その実社会で働くポストが段々上の方に上がって行くことは、その責任も重くなるということも伴うものであるが、嬉しいものであることは言うまでもない。
役人の世界は、とくにそのポストの上下が外部にハッキリとわかり易いだけにポストに関する関心は深い。 仕事ができるからといって、又、人がいいからといってポストが上がって行くということにはならないし、又、どんな上司や部下に恵まれていたか、ということもポストに響くものである。 そこには、実力以外の要素があるし、又、運不運がある。運不運も実力のうち、という具合に簡単に片づけられるものでもないと思う。 運不運の差については、軍隊生活で嫌という程感じさせられて来た。戦地では特にそうであって、弾丸の飛んでくる一センチの差がその人の生死を分けるという場面にさんざん会って来た。 真先かけて突進して最初に狙われて死ぬ人もいるし、といって、もたもたしていてお尻の方を走ってやられる人もいる。大勢渡れば怖くないというのも、ある程度あたっているし、大勢の仲間と一緒に行動していても、弾丸が、その中の人に当たる。運が悪ければである。 私は、屡々述べたように学校を出て入営してから、経理学校でまた学校生活をし、それから戦地へ送られ、北支、中支を転々として、北鮮で終戦となり、ソ連に抑留されること三年、監獄の独房生活も経験をした。 復員するまで六年かかったので、同期の入省者より遥かにスタートが遅れたので、もう役所には戻らず、弁護士になろう、と固い決心をして帰って来たが、他の同期のものと同じ待遇にするから、という官房長や秘書課長の一言でコロリと変心をして大蔵省に舞い戻って来た。 幸い、人からみれば、トントン調子で、出世し、同期でたった一人事務次官にまでなった。 私は、特に学校の成績が良かったわけではない。入省試験の時も、高文の試験はまあまあだったが、大学の成績は良くなくて、たまたま一緒に受けた司法の試験がかなり良い成績だったので、それと合わせて一本というような形で合格となったようなものであった。 それからのルートもかえり見れば全く偶然の連続であって、自ら望んでそうなったというものでもないし、望んでもそう希望通りになるものではない。 ただ、一つ言えることは、スタートが大幅に遅れていたから、せめて仕事では後ろ指を差されないように、本当に精一杯の努力をした積りであった。 考えてみると、私は家の中のことは全くと言っても構わなかったし、今から考えると、子供や妻をつれて遊びに出かけたことも殆んどなかったし、学校の勉強を見てやったこともなかった。入学、卒業、クラスの父兄会など、どれ一つとして出席したことはなかった。親として、も少しは、何とかしてやれなかったのかしら、と思うことが、この頃よくある。それでも親の働いている背中を見てくれたのか、まあまあ世間並みに無事育ってくれたのは、妻や本人の努力の結果ではないのか、と思っている。 自分自身の生活の軌跡も全く威張れたものでもなかったし、適当に、とにかく外向けには嫌われないように遊んでいたように思う。 その一々については、記す必要もないし、参考にもならない、と思うので省略するが、まあしいて言えば、人にはできるだけ親切に付き合って来たつもりであるし、そのことを通じていい先輩や仲間に恵まれてきたことではないか、と思う。 正直言って、私は、役所の中で何になろうと努力をしたことはない。強いて言えば、主計局で予算の仕事ばかりしていたので、金融証券関係の仕事をさせて欲しいと、毎年の希望調査の際に希望を出したことが何回かあるが、全然無視されてきたので、途中からは希望も申し述べないことにしていたら、二十何年間の間、ただ一筋に予算の仕事をやらされたのである。 しかし、今となってみると、それで良かったのではないか、と思っている。あいつは予算屋だと張札されたようなもので、又、途中からは予算の仕事に興味を持って精一杯打ち込んでやっていたので、主計局長になり、次官に昇進した、という恰好である。 予算に関心を持たない国会議員はいないし、又、それを通して多くの議員と接触を保ってきたので、役人を卒業すると、何となく議員になるべく選挙を志すようになった、と言えよう。 今から回顧するに、コースとしては別の道を通るべきだった、か、と思うことも少なくない。 田中総理から薦められた時に東京都知事選に出、又、選挙区もやはり故郷ヨコハマを選ぶべきだったか、と最近とくに思う。どうもムダな努力を重ねたように思わないでもない。 しかし、一日生涯をモットーとし、過去を振り返らないようにすることにしている私が、今更こんなことを言ったり、書いたりしたら笑われるに違いない。 一生は二度と出来るものではないからだ。 |