back 代表理事 相澤英之 のメッセージ
       「地声寸言」
  2016.03.16リリース

第二百三十四回 <ソ連抑留>
 この頃、以前よりもソ連抑留問題についてマスコミが採り上げることが多くなって来たように思うが、われわれ抑留経験者としては、もっともっと抑留の事実について知って貰いたいことが多くある、と思っている。
 未だに抑留者を捕虜だと思っている人が少なくない。生きて虜囚の辱めを受けずという戦陣訓があった。しかし、われわれはその戦陣訓があるが故に捕虜ではなかったと言っているのではない。
 事実、日本は力尽きて昭和二十年の八月十五日に連合諸国に降伏したことは事実であるが、ソ連はいわばそこを見越して八月九日に日ソ不可侵条約を一方的に破棄して、防備の体制にない満州、樺太、千島、北朝鮮に突如侵入して来たのである。そしてあらゆる物をかっさらうようにソ連領内に運び込むと同時に、われわれ六十万人の将校をシベリア奥深く拉致したのである。
 われわれは戦って降伏し、捕虜となったとは思っていない。天皇陛下の御命令によって、終戦となったので、抵抗もしないでソ連領内に運び込まれたのである。
 われわれは北朝鮮の収容所に閉じ込められていたが、最初は、在留邦人の帰還が先で、それが済むまで鉄道沿線で警備に当たる、という了解であった、と信じていた。
 そういう了解が日ソ両国の間に成り立っていると聞かされていたからこそ、脱走も企てないで大人しく収容所でゴロゴロしていたのである。そして、十月の末日本へ送還すると言われて、嬉々として乗り込んだ船は日本に向かわずにソ連のナホトカやヴラジオストックの港に向かい、そこで降ろされたのが、酷寒の地シベリアであったのである。
 それから早い人で一、二年、遅い人はさらに何年も強制労働につかされ、ために六十万人の将兵の一割も死亡するという悲惨な目に遭わされたのである。
 その実態の詳細をここでは改めて記すつもりはないが、何故このソ連の非道な行為を究明しないのか、憤りをもってその疑問を持っているのである。
 両国間に何らかの了解文書があるなら公にしてほしいし、不法行為を謝罪し、強制労働に対する慰謝料を支払ってもらいたいと強く、強く思っている。
 何故日本国政府はこのことについてソ連政府に強く主張しなかったのか。
 昭和三十年、鳩山内閣の時に結ばれた日ソ共同宣言がある、といわれても、あれは共同宣言に過ぎないのであって、平和条約ではない。北方四島の帰属問題も解決しなければならないが、一応にも二応にも、このソ連抑留問題は、日本政府として正式に、強く取り上げて貰いたいし、そうすべき問題だと思う。
 そうは言っても語弊があるが、僅かばかりの日本人の北朝鮮への拉致問題をあれほどやかましく問題としている日本政府は、この六十万人という、実質拉致された日本人将兵の問題を何故もっと真剣に取り上げないのか。全く不思議でならないし、いきどおりを持って訴えているのである。われわれの努力が足りなかったのか、とも思うが、もし、日本政府にソ連政府に主張しえないような理由があるなら、それをそっくり開示して貰いたい。事実、両国間の密約説も言われている。そう信じている人も少なくない。
 六十万人のソ連抑留者も年とともに急激に減って、今は調べていないが、三万人ぐらいといわれている。政府はやがてもう五年もすればすべては皆泉下になると、その時期を考えているのではあるまいか、とさえ思う。
 米国もあの凄烈な戦闘の末占領した沖縄を日本へ返した。終戦間際に、泥棒猫のように侵入してすべてをかっさらって行ったソ連は当然北方四島を返還すべきではないか。
 竹島しかり、尖閣諸島しかり。そろって他人の領地は沖縄に倣って日本へ返還すべきではないか。少なくとも時効の問題など成り立たないではないか。
 
 


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