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相澤英之 のメッセージ 「地声寸言」 |
2015.12.03リリース |
第二百二十七回 <大をなす> |
この頃の世の中を見ていると、何でも大は小を呑み込んで行くように見える。漠然とした言い方で相済まないが、何にでもそういう傾向が現われ、又、顕著となりつつある。
例えば、昔は、それぞれ専門の中小企業が町々に共存して、それなりに便利がられて商売をしていたが、近頃は、それが集約されている。 一例を挙げれば、商店街である。私は、鳥取県を選挙区としていた。選挙運動で何べん戸別訪問をして歩いただろうか。道の両側に並んでいる小さい店を一軒一軒歩く。先觸れが行って、店の人を道路上まで呼び出しておいてくれる。その人々に、名刺やら握手やら、ねんごろに一票を頼むのである。 商店街のアーケードを何往復しただろうか。そのアーケードが古くなって、新しくしょうにも、店の数が減って、なかなか再建の意見が纒まらない。アーケードの維持が難しくなって、もう要らないか、という結論になって仕舞う。以前は、九時やそこら迄開いていた店が、六時頃にはもう閉って、人通りもなくなる。商店街はシャッター街と化して了ったところが少なくない。専門店の種類も減った。他方、雑貨屋みたいな下町の小店も本当に少なくなった。 バカでかいスーパーが誕生する。買物をするのに、あち、ことしなくていい。その上、この頃と来たら、ネット販売などが流行する。 ネットを走らすと、そんなに時間もかけないで品物が送られてくる。代金は引落しとなる。何事も手軽になった。物を買うのにも、人の情の交換がない。ペーパーと品物が飛び交う簡略化である。それで、いいのかな、と思い出すようになって、いよいよ、その傾向は加速をする。 この間新聞を読んでいたら、空飛ぶ無人機ドローンの活用促進される、と書いてあった。さあ、空中戦でぶっかったら、どうなるのだろうか、と思うが、それを避ける工夫も同時に進行しているのだろう。 昔は、向う三軒両隣りと言った。戦時中はことに連繋が役に立った。今は、隣りは何をする人ぞとなって来ている。秋は深くなっている。 商店も、住民もそういう方向にあって、いわば、バラバラに自分の都合のみで動いている。それでいいのかな、と思うが、容易に変わらない方向ではないか。 銀行も昔よりぐっと数が少なくなった。便利さが増したとも言えるが、中小企業には、相手にし難い壁が立ったように思えるかも知れない。そして、あらゆる企業が系列化して行く。そして、国内でうごめいているばかりではない、外へ出て、外国の企業とも結んで動くようになる。企業は国の壁を越えて、というより国の壁など余り意識しないが、動くようにする。だんだん、国の締めつけは効かないようになるのではないか。当然企業の統廃合も進められて行こう。その先は、ハテ、どうなるのだろうか。 も一つ大切なことを記しておかなければならない。地球の大きさは変わらないが、交通機関はいよいよ発達して、地球が小さくなってくる。自動車はますます数が増え、スピードがアップしてくる。航空機は言うもがな。鉄道は新幹線スタイルからリニアへと格段のスピードアップで、航空機との競争である。人的、物的交流はいよいよ時間が短縮され、又網目は一層詰まってくる。世界は一つ、といった流れに、最も問題になるのが、国であり、さらにどうともならない宗教の違いがある。そればかりは、安易にバイヤーがなくなるとは思えない。人類が闘い合って亡ぶとしたら宗教が原因となろう。一番平和で生き残れるのは多神教の日本ではなかろうか、とふと思ったりする。 この地球の人間もそうバカではないだろう。他の世界が発見されて、交流が始まれば、又別の世界が出来上って行くのかもしれない。ただ、それは、それこそ、ずっと先の問題で、われわれは誰一人として生きてはいないのだから、別に気をわずらわすことはないか。唖々。 |