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相澤英之 のメッセージ 「地声寸言」 |
2015.03.04リリース |
第百九十五回 <カラオケ> |
兵隊は歌が好きである。大学を半年繰り上げで初年兵で陸軍へ入った私は、先ず軍歌であった。演習で営外へ出る。時々代々木の練兵場に行く、行きと帰りは三八式の歩兵銃を担いでの軍歌である。どこの部隊でも唱う歌であるが、中にはその部隊だけの歌もあった。全部は覚えていないが、時に今でも口ずさむ。
「星と桜の帽章に勲け高し今朝の空 生きて咲け桜花 十七勇士の腕のほど」 繰り返し、繰り返し唱う。陸軍の普通の帽章は星だけであるが、近衛は星と桜、近衛以外の兵は、それを「たん壷」と仇名した。そう見ればそう見れないこともない。「十七勇士」とは、われわれの属していた連隊は、兵衛師団の輜重隊であったが、東部第十七部隊が通称であった。隣りの兵舎に東部第十部隊がいた。以前は騎兵連隊であったが、流石その頃は馬は古くて、部隊も索敵連隊(戦車連隊)となった。 この連隊とは塀一枚挟んで隣合わせでいたから、部隊の員数検査の時はお互いに見つからないものを塀越しに貸した。時には馬も貸したり、借りたりしたという。連隊は員数主義であって、定数が足りないと、それこそ、眼から火が出る程なぐられるが、数さえあっていれば文句はない。そこで、九段の坂下に員数屋という商売屋が店を張っていて、何でも売ってくれる。小銃などの兵器などは無論、大砲まで売っているといわれていたが、それは見たことがない。小銃の薬莢一つなくなっても、広い富士の裾野を陽が暮れても探させるという軍隊だから、成り立つ商売かな、と思う。大砲の弾丸も売っていた、もっとも空砲のそれである。 話が外れたが、兵隊は軍歌ばかりではない。歌は何でも。流行歌、とくに演歌。民謡。ソ連抑留を含めて六年の軍隊生活の間にどんなに沢山演歌を覚えたろう、数だけは大したものだ。もっとも、必ずしも正調でなくて、間違って覚えた歌を教わるのだから、そのまゝ記憶に残ってしまう。一へん頭に入ると、なかなか抜けるものではない。 それにしても、外国の兵隊も軍歌を唱う。ロシアの兵隊はなかなかうまい。直ぐ二重奏三重奏となる。CDもよく出ているが、なかなか、うまいものだ。一緒にいたドイツ兵もよく唱った。今でも、いくつか口ずさむことがある、自然と出てくるのである。 戦後、カラオケのブームの頃、議員仲間が集まって、カラオケ議員連盟を作って私は会長をしていた。これは、別に唱う連中の会ではなくて、青少年不良化防止が旗じるしで、警察とも連絡をとり合っていた。カラオケは日本語にして、間もなく世界語になった。外国へ機械とともに日本の歌も輸出された。 今、カラオケ議連はどうなっているであろうか。時に気になる。 |