back 代表理事 相澤英之 のメッセージ
       「地声寸言」
  2014.11.01リリース

第百九十回 <満蒙開拓団>
 私は、昭和二十年八月十五日終戦の日、北朝鮮咸鏡南道の咸興に駐屯している第三十四軍司令部の経理部員であったので、不法に侵入して来たソ連軍に抑留されて約三年間収容所で暮らした由をもって約四十年間戦後強制抑留者協会の会長をしている。
 ソ連抑留者のソ連邦に対する補償要求(強制抑留間の労働賃金支払要求)などを目的として四十年以上運動を続けている。
 この運動をしている間に年々同情の思いが強くなってくるのが満蒙開拓団の団員の人々の戦後味わった苦難の道である。
 この団体は戦前満州国に五族協和王道楽土建設を目指して、昭和十三年から満蒙に送られた人々から成るものであって、総数概ね八万六千人といわれた。
 満蒙の広大な土地の開拓は、新しく建国された満州国の農業発展の基盤を作る目的で主として満州国の国境線に沿って展開された。
 
 
 私達ソ連侵攻地区の満州、北朝鮮、樺太、北千島の部隊は、それでもわれわれが見たこともないソ連と関東軍司令部などとの協定にも続いてソ連邦内に運び込まれ、その総数約六十万人、うち一割六万人が死亡、五十四万人が内地に帰還したが、満蒙開拓団三十七万人はソ連軍侵攻時以降、非武装に近い状態でソ連軍に蹂躙され、そのため死亡した人の数は五万人と言われている。
 敗戦と同時に満州国、関東軍関係などの資料はほとんど破棄、焼却された為にこれらの実態はまことに知り難いことになっている。
 戦後七十年に近くなる今日やはり満蒙地域における日本の活動状況についてできうる限り資料を集めて記録に残しておくことは、われわれの使命ではないか、と信ずる。
 経費がかかるという反論がすぐ予想されるが、こういうことは政府が決心すれば出来ることだと確信しているので、即刻取り掛かってもらいたい、と思っている。
 なおこのような戦争前後の記録は、例えば防衛庁(現在・省)の戦史研究室の集めた膨大な記録などがあるが、これは、主として軍の行動に関するものであり、海外における官民の活動状況についての総括的な記録は寡聞にして承知していない。
 そう言えば、戦争についての国内外の総括的な記録はないのではないか。これも是非後世のために残すべきではないか。
 
 


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