back 代表理事 相澤英之 のメッセージ
       「地声寸言」
  2014.05.31リリース

第百八十四回 <竹富町>
 教科書問題で各紙の紙面に記事の出ている沖縄の竹富町には若干の思い出がある。
 昭和四十六年夏、沖縄の復帰が決まった前年、国有財産である、主として土地の処理が問題となっていた。地獄の死闘が演じられた後、占領した米軍のブルドーザーによって原形が留めぬまでに整地され、建物が建てられた沖縄の土地は所有区分が不明のところが多かった。
 出来るだけ現状そのまゝで使用させて欲しいという米軍の要求をどこまで容られるか、又使用を認めた土地のうち国有地以外は借料を支払われなければならない、その土地の確定、賃借料を決める、など畿多の問題について米軍との話合いも必要であった。
 本島、宮古、石垣と南下しつつ現地の状況を視察して歩いたが、石垣島に行った時近くの竹富町に寄った。小さな島であったが、植物の綺麗なところで、島の上陸地点には相沢理財局長歓迎の横断幕まで掲げられて大へん嬉しくもあり、済まなくも思った。
 その竹富島の教科書採決問題がこぢれている。
 戦後、GHQの軍政下で、六・三制の教育制度に改められ、国定教科書が廃止されたが、義務教育費無償の旗印のもとに教科書無償の要請があって、一時、新入生の算数、国語についてのみ無償で支給するという、いわゆるおお年玉法案の成立はあった。その後、主計局で文部担当の主査をしていた私は年一回、せいぜい四、五千円の教科書ぐらい父兄の負担で差支えないとの考え方で、当時の文部省初等中等教育局長内藤譽三郎氏と接衝の結果、お年玉法を廃止する代り、義務教育の生徒のうち、生活保護家庭ではないが、何らかの事情によって教科書を買えないような準要保護児童、生徒に無償で全教科書を支給することにした。この制度は後に拡大して、教材費、学用品費、修学旅行費、学校給食費、学校安全会費などの費用も国で支給することになった。
 教科書無償と教科書検定とは関係はないが、私は、教科書無償ならば、戦前のように国定教科書にしたらよい、というより、すべきであるという主張を持っていた。
 全国の小中学校の児童、生徒が同じ教科書で学ぶ。転校しても違和感はない、同じ思い出を共有できる、多量生産で安くできる、いいことが多い、と私は、今でも思っている。
 以上は、教科書問題についての私見に過ぎない。
 いずれにしても、竹富島の教科書問題は国として規定がハッキリきまっているのだから、採択教科書について言い分はいろいろあるにしても、規定に従うべきなのであって、それに従う、従わないで争いことは不法であるから、関係責任者は法に従って処分を受くべきものである。
 
 


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