back 代表理事 相澤英之 のメッセージ
       「地声寸言」
  2014.05.31リリース

第百八十回 <「西洋美術館」余談>
 上野の西洋美術館を世界遺産に登録させるようにという運動が又始まっていることを新聞で見た。結構なことである。是非推進して貰いたい。
 戦前、パリで松方氏が金に飽かして蒐集した美術品は第二次大戦中フランスに押収されたが、戦後、吉田首相の努力などにより、日本に返還されることになった。
 それはよいとして、その美術品の収蔵のために独立の美術館を作るという条件がついているという。上野の美術館に入れようと当時文部省予算担当の私ど もは考えていたが、それはダメで、国内の設計家達のコンペもダメで、フランス人コルビジェに直接指名がフランス政府の意向で設計料は1千万円であると言う。そんなことまで指示される覚えはない、と言ったら、自民党の世話人、小坂善太郎、福永健次に呼び出されて、これは大磯の命令である、という。大磯とは言わずと知れた吉田総理のことである。
 泣く子と地頭という古語を思い浮べた。
 さて、何カ月か経ってフランスから設計図が届いた。よくわからないが、克明に見たら、一つ発見があった。それは、便所がどこにも書いてないことであった。鬼の首でもとったような思いで、そのことを指摘すると、青くなった文部省の職員は早速持って帰って訂正して貰った。
 そう言えばパリのルーブル博物館も便所はえらいところに虐待されている。
 エリゼ官を摸したという赤坂の迎賓館も便所は地下だけで、戦後暫らくあそこを使っていた法制局の職員は、やはり便所に苦労していた。フランスでは、日本ほど便所は大事にされていなかったようだ。
 松方氏の蒐集した美術品は全部返して貰ったのか、と思っていたら、どうもそうでもないらしい。戦後、パリのロダンの美術館に行った時、大事なものは一部返還されなかった、という話を聞いた。眞偽のほどは不明である。
 返さなくてもよいものを返したのだから、という説明なのだろうか。
 ともあれ西洋美術館はコルビジェの設計したものの中でも優れたものである、と見られている。
 
 


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