back 代表理事 相澤英之 のメッセージ
       「地声寸言」
  2014.03.03リリース

第百七十一回 <読書>
 ペーパーレスの時代と言われて久しいが、数は減ったが街の本屋には新刊書が溢れるほどに積み重ねられている。
 所用で街に出た折に時に本屋をながめてあまりに沢山の新刊書が出ているのに驚いている。
 本は好きである。乱読、積読。何でも読む。昭和十七年学徒兵として出征したあと横浜の自宅に残した五千冊程の本を空襲で皆灰にしてから、戦地から帰っても暫らくはとても本を買うような心境にはならなかったが、大蔵省に復職してからは又決心を変更して本を買うようになった。
 仕事向きの本も買うが、私の場合、多いのは文芸書であって、全集もいろいろ買い込んだし、ある時期は読むことをわすれたように眼についた本を買いまくった。
 作者に好き嫌いがあるのは勿論である。ことに近頃はその傾向がある。文芸物とは言えないが、例えば、曽野綾子さんの本をここ一、二年で三十冊以上買って読んだ。クリスチャンであるのとないのとの違いはあるが、何だか曽野さんの思考に全く同調するように思えたのである。
 一応毎日弁護士として事務所に出ているので、読書は自宅であるから、読める本の量はせいぜい一ヶ月十冊ぐらいで限られている。自宅では、何かしていない時は本を手にしている。便所では必ずといってもいい位便器に腰かける時は本を手にしている。
 しかし、齢九十を越して、余命の短かさを思うと、どういう本を読むのか、よく考えなければいけないな、と思いながら、よく考えないで、積読本の中から眼につくものを取り敢えず手にして了うのである。
 若い頃は洋の東西を問わず名著と言われるものは皆読んでやろうと思ったが、なかなかそうは行かない。
 しかし、死ぬ前にやはり世界の名著は読みたいなと思って、少しづつ実行している。
 去年はドストイェフスキーの「罪と罪」を読んだ。学生の頃読んだと思っていたのは概要であったので、今度は全巻読んでまことに感動した。
 岩波文庫で何度も見て頭に焼きついている名著で読んでいないのがある。例えばロマン・ローランの「ジャン・クリストフ」やらトーマス・マンの「魔の山」、ダンテの「神曲」などなどである。
 人に話せば、そんな古くさい本など読まなくても、と言われるに違いないような気がするが、やはり昔からの名著には、実が詰っているし、感動するものが多いと思う。
 私は、新聞は朝、毎、読、日経、産経、東京と地元の新日本海の七紙、雑誌はサライ、週刊新潮、週刊文集、日経ビジネス、歴史読本などであるが、他の週刊紙やスポーツ紙は買わないことにしている。それでも、毎日これらに裂く時間もバカにならないし、思い切って減らそうか、と思いながら、踏み切れないでいる。
 しかし、もうそう長くは生きられないのだから、この世の名残りにいい本を読みたいと考えている。が、さて、その選択だ。
 
 


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