back 代表理事 相澤英之 のメッセージ
       「地声寸言」
  2014.02.14リリース

第百六十七回 <方言>
 随分昔(六〇年以上)出張で熊本県の人吉市から肥薩線の古い客車に揺られながら鹿児島に向っていた。各駅停車で途中乗って来た農家の主婦風の数人がしゃべっている言葉が全然わからない。単語ぐらい、と思ったが、それもよくわからない。あゝ、ここも日本の中なのにどうしてわからないのだろう、といささか心細くもあり、情けなくも思った。
 ところが、鹿児島市の町中の旅館に入ったら宿の仲居さん達の使う言葉は大体標準語に近いので安心をした。
 同じく出張で行った津軽の言葉も亦わかりづらい。鹿児島人とはとても会話ができないのだろうなと思った。
 戦争中、主計将校として北京、漢口に勤務したが、北京官話と武漢へんの言葉とは、中国語に弱い私でも随分違っているな、ということはわかった。
 中国も北と南とでは会話ができない、と聞いていたが本当だな、と感じた。
 ソ連抑留中、同じラーゲルでドイツ人と暮したが、ドイツも北と南では言葉が違う。ベルリン語というものもあるという。
 ソ連から帰還して半年余りで、私は京都の下京税務署長に任命された。さて、初めは京言葉がよくわからなかったので、人と話をしていて何べんも聞き直したりした。よく京都の人、とくに女性の言葉ははんなりして柔らかく聞えるが、随分中味はきついことをいうとか。
 昭和三十年に出張でロンドンの宿に二週間余り泊っていたが、ルームサービスに来るおばさんの英語は、中学校以来英語を習い、シェイクスピアの作品もいくつか読んでいる私も甚だわかり難いのである。ロンドンはコクニイというなまりの強い英語と聞いていたが、聞きしにまさる独得な言葉であった。
 大蔵省を卒業して鳥取県から衆議院議員の選挙に立ったが、さて、私の本據地は県西部の境港、さてさてここの言葉は浜弁と言って、これ又なまりの大へん強い言葉で、酒など入った席でくどくどと言われると、さっぱり何を言ってるかわからない。背定か否定かもわからない時もある。本当に情けない思いがした。
 私も、毎日さ程熱心ではないが、テレビを見、ラジオを聞いている。NHKでもニュース・キャスターを含め表われる人の日本語の発音、アクセントなどどうかな、と思うことが多いし、時には、何であんな言葉なのかなと思う。
 フランスはフランス語を大事にして、テレビ、ラジオなどでは発音、アクセント、イントネーションなど厳しく指導している、と聞いていた。
 日本はどうなっているのだろう。
 日本の標準語は東京は山手の言葉だ、と聞いているが、今、その標準語に即した指導教育が行なわれているのだろうか。
 私の高等学校の時の組級友は愛知県の出身の男がいた。三河の徳川家康が江戸に乗り込んで幕府を作ったのだから、三河弁が本来標準語なのだ、と言って、反論しても讓らなかった。
 それは、それとして常識的にはおよそ標準語はきまるのだから、それに向けて、せめてテレビ、ラジオ等音声にかかわるものは政府が先に立って標準語を使うように教導して貰いたいと思う。
 戦後、関西のお笑い芸人の言葉がわっとばかりに登場し、その影響もあってか、聞くに耐えないアクセントの言葉が流れているが、ほっておいて、いいものだろうか。
 こう書くと、方言を否定するのか、と言われそうであるが、そんなことは考えていない。
 日本の経済、社会、文化の標準的な言葉を確定して欲しいと言っているのである。方言で会話のできる人に会うと、それだけで親しくなる。その良さをどうこうとは言っていない。
 家内が有吉佐和子さんの名作「紀の川」の朗読劇に出るとかで、今、紀の川の方言を熱心に復習している。
 「紀の川」は映画になり、舞台にかかったが、主人公の「花」が嫁入りの時、紀の川を下って来た船をおりて陽に映える河面を見詰め「うっついのし」と歎声を挙げるシーンが実に綺麗だった。あの「うっついのし」は美しいわ、という意味であるが、あの場の景色にまことにぴったりの方言であった。
 標準語とともに方言も大事にして行こう。
 
 


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