back 代表理事 相澤英之 のメッセージ
       「地声寸言」
  2013.12.05リリース

第百五十九回 <庭>
 毎朝起き抜けに二階の窓を明けて庭を眺めることにしている。日課になっている。
 庭は桜の木の太いのが数本の他、雜多な木や花が植わっている。雜多な、など言うと葉子に叱られるだろうが、植物に詳しくない私から見ると、そうとしか思えない。
 葉子は庭のある家に住むのが昔からの念願であると言っていたが、今も、実に沢山の植物が植わっている。
 イギリスの古い庭の良いというのを幾つか見たことがあるし、フランスでは、かの有名なモネーの庭も再度見に行った。色々な王宮の庭園のようではなく、自然の野原のような、それでいて何か一つに纒っているような、毎日見ても飽きない、毎朝深呼吸をしたくなるような、そして雨に濡れる、明るく照っても、雪が積っても、何か落ち着いた、普段着のような庭が、個人にはいいのではないかと思っている。
 子供の頃住んでいた横浜の家には猫の額ほどの狭い庭があった。今でも覚えている。藤棚が庭の半分近くを覆っていた。季節になると美しい花がいくつもつり下ってくる。柿の木が一本。甘柿をついで、一年おきにかなりの実をもたらしてくれた。
 私は、しゃぼてんの鉢を少しづつ買って並べておいた。小さい球が出来ると根分けして、別の鉢に入れる。いくつも並べて楽しんでいた。
 私は、植物には興味が深いとも言えないが、中学生のある時期、父が買ってくれた牧野氏の植物図鑑を頼りに、学校の宿題の植物の押し花をかなり沢山集めたことがあった。昔のことである。古新聞の間に花をはさんで石などで重しをして乾かしておく。出来た押花を大きな画用紙に貼りつける作業を飽きずに繰り返す。
 あゝいう作業は一時無心になれる。そこがいいのかな、と思ったりする。
 成城の庭には、年二回ほど庭師が入って撰定をしたり、手入れをすることになっている。
 安くない出費は痛いが、庭を保つとなればお化粧ではない、手入れも必要であろう。
 桜の木のうち三本は世田谷の保存木となっていて、二年おきに手入れに来てくれる。
 桜の木のうち一本は近所に住んでいた水上勉さんから頂載したもので、家では水上桜と呼んでいる。桜のうち一本は実生で、何十年か前に鳥が落とした糞の中に混じっていた実から大きくなったものである。
 毎朝、眼が覚めると鳥の声である。全く聞こえない時もあるし、多勢きてやかましい時もあるし、もずの一声が空に響くこともある。
 固定資産税は高いな、と言いながら庭は大事にして行こうと思っている。
 
 


戻る