back 代表理事 相澤英之 のメッセージ
       「地声寸言」
  2013.06.20リリース

第百三十八回 <長生きするには>
 齢九十を過ぎて、よく人に聞かれる。どうしたら貴方のように長生きできますか。何かコツがあるのですか。
 私にしてみれば、何時の間にか年をとったという思いだけで、格別長生きをするために努力したという意識はないのである。さはさりながら、確かに卒寿(九十)というのは長生きである。世界の長寿国と言われる日本は女子は平均寿命が九十に近付いている。(男子はどうしたわけか、以前から大体六才女子を下回っている)
 振り返ってみると、子供の頃、私はクラスでむしろ小さい方で、前の方の机に坐らされていたが、次第に後ろの方の席に変って、六年卒業の時は、一番最後の列の席にいたと思う。
 中学、高校でも、軍隊でも右に倣えの時は一番右にいたように思う。だからまァ、普通以上に育ってきたのだと思う。
 ただ、小学五年生の時は、お多福カゼから急性腎臓炎で一年間休学せざるをえなかった。
 運動は嫌いではなかったが、選手生活は一高一年の半年余りだけ、陸上競技部で円盤、砲丸、槍。主として投擲の練習をしていた。
 小学校は横浜の漁師町、小学校へ入る前から海で泳いでいた。ヨット、野球、テニス、サッカー、ピンポン、馬。上手ではなかったが、何でも練習した。社会人になってからを含めて、一度もしたことのない運動は氷上スケート、クリケットくらいなものであろうか。
 しかし、運動は健康にいいとは言えるか、選手生活は必ずしも健康に良いとは言えない。運動部の生活を通じて、そのことは感じたので、皆と運動部解散の運動を寄宿寮で起こしたこともある。
 若い時厳しい運動を続けて、急に止めると短命に終る例をよく知っている。プロの運動選手は大ざっぱな言い方をすれば、大体普通の人よりも寿命は短いのではなかろうか。それに卑近な例で言えば、朝のジョギング。
 マラソンブームの今日、宮城の周りを昼休みに走る人は五千人にも及ぶと聞いた。あの人達は元気でいいと思うが、毎日走っていると、走らないと気分が悪いので、少々の雨が降ろうと、風が吹こうと、暑かろうと、寒かろうと走らないと気が納まらなくなってくる。
 そういう人を何人か知っている。そして、今はどうか。何人か床に伏している。
 だから、ラジオ体操ぐらいが、丁度いいかも知れない。
 さて、それはさて措き、長く生きるには精神状態が大事なのだろう、と思う。どうしたら良いか。
 正直言ってよくわからない。考える迄もなく、この間、生れてから大学を出るまで二十年余、軍隊生活(ソ連抑留を含めて六年)、大蔵省役人生活実質二十三年、衆議院議員立候補を含めて二十八年、弁護士九年(大体)の生活であった。その間本当に休む暇はなかった。過ぎ去ったことは二度と帰らぬ事。ああすれば良かった、こうすべきであった、と思うことは数限りなくあるけれども、所詮、そう思うだけで、踏み直すことは出来ない。
 私は、学校の卒業式などで後輩に言う詞は人生あらゆる選択肢があるのだから、何でも試みてみること、そして絶えず前を見つめて、進んでいく心が大切なのではないか、ということである。
 私も、随分いろいろなことをやって来た。
 しかし、これから先まだやりたいことはいくらでもある。 
 
@ 外国語も、覚えてもうそんなに役に立つとは思えないが英(学校)、独(ソ連抑留)、露(ソ連抑留)中国(駐屯)、朝鮮(同上)、仏(学校)のうち、いくつかをも一度勉強する。
A 選挙区鳥取県には随分お世話になったし、明日の担う若者たちに是非奮起して貰いたいので、代議士を辞めてから塾を開いている。これをもっと育てて行きたい。
B 弁護士としての仕事。法廷に立つ以外に奉仕の精神でいろいろ悩み事、相談ごとの相手になること。
C 社会福祉法人の理事長をしているが、今後とも重要度を増す仕事の合理化、効率化を図ること。
D 習いごとを再開したい。清元を少々習ったが、できれば、新内、河東節、一中節の一つを習いたい、油絵を長く休んでいるので復活。習字も。
E 五巻まで出版した「読者諸賢もって如何とす」の続編の出版。写真集(第二、三冊目)「花」、「世界の街角から」の出版
F オーラルヒストリーの編輯出版
 
 とにかく、前向きで仕事をする気概を持っていることが、気持にハリを持たせ、活力を維持できる方法ではないだろうか。
 
 


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