back 代表理事 相澤英之 のメッセージ
       「地声寸言」
  2013.05.20リリース

第百三十四回 <北朝鮮の核>
 昔からよく「泣く兒と地頭」という言葉がある。いつかな無理をわかっても欲しいものを叶えてやらないと泣きやまぬ兒の例は、今は北朝鮮である。
 異様に脚を伸ばし、高く蹴り上げるようにして歩調を揃えて歩く行進は見事なもので鉄の規律を感じさせる。それをあの頭領が独得な打ち方をもって拍手を送っている。ただ、その陰に食べるものにも事欠いているという民衆がいる。文句は言わせない。脱北者は捕われば所詮懲罰、時に死刑という。
 こんな状態で宇宙ロケットを飛ばし、原発を造り、原爆の材料となるプルトニュウムを作出しょうと巨費を注ぎ込んでいる。原爆を持っている国に対して、先に行ったものはよくて、後から行くものはダメだとは理窟に合わないとばかり、根を詰めている。おそろしい国である。
 終戦の時、私は咸興南道の咸興に軍司令部経理部衣糧科の主任将校をしていた。
 編成完結となったのが六月初め、本隊に遅れて七月に咸興に着き、小学校の校舎に腰を捉え、さて最初の仕事は飯を焚く薪の用意であった。山だらけの土地だが、ろくに樹は生えていない。第一急に材木とて間に合わぬ。町中を徘徊して見つけたのは、日本式の木の摒である。これこれとその辺にあるだけ塀を言い値で買い占めて、皆に感謝されたが、後日警察から泥棒が増えて困ったものだとねじ込まれた。地下資源とやらはあるらしいのだが、電力は鴨緑江、水豊などのダムに頼るとして米もとれなければ、畑も少ない。
 ソ連が侵入して来たら険峻な山にもぐるとして天幕ストーブ三万人分、毛布七五万枚、などを大連の関東軍貨物廠からうけとるように指示があった。戦争が始まったらこちらがゲリラ部隊となる、という構想である。初め、われわれは、米兵の上陸に備えるのか、と思っていたら、ソ連兵の軍朊八千人も用意してある、という。敵は明らかに上可侵條約を結んでいた北の方の国にあった。
 ソ連軍が咸興に戦車、自動車砲を先頭に立って侵入して来たのは、終戦八月十五日から一週間も経ってからである。
 武器、弾薬、衣朊、食料など一切を引継ぎのリストを作って引き渡す、という協定を押し付けられた。
 軍は上思議なことに武器、弾薬は全然整っていなかったが、衣朊などは山ほど持っていた。どうせソ連軍に奪られるくらいなら北朝鮮の住民にやろう、というので、兵隊と一緒に軍朊などを次々に放り投げた。ワッとばかり集った人の熱狂的な喚声を今でも思い出すことができる。
 十月の終り頃、日本へ送還するといってだまされた私どもが元山の港から旅立ったが、シベリア鉄道二十三日を貨物車の車中に過した旅で、あと二年半もの収容所生活が続くのである。
 北朝鮮の人達は気の毒である。もっとも気の毒なことを知らないか、知ってもどうともならないかを知っている。
 
 


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