back 理事長 相沢英之 のメッセージ
       「地声寸言」
  2012.08.09リリース

第百二十七回 <プロ野球は何故つまらなくなったか>
 イチローを始めプロ野球の優秀な選手が米国の大リーグへ移って活躍をしている。毎日の新聞のスポーツ欄に彼等の成績が載っている。かつてはないことであった。
 私は、昭和十一年東京巨人軍がプロ野球球団として初めて登場した時からの巨人ファンである。勝っても負けても贔屓は変わらない。ラジオがテレビになった頃は、巨人の試合が映っていれば、家にいる限りみた。家内も巨人のファンで喧嘩をしなくて済むのは有難い。
 ところが、この頃は、テレビに野球の日がかなり少なくなったようだが、巨人の映る回数が昔より断然少なくなった。野球に代わって写るのがサッカーである。
 サッカーは米語で、元来英国でアソシエイション・フットボールと言われ、日本では略してア式蹴球と言った。ラグビーはラグビー・フットボールでラ式蹴球である。
 中学生の頃、運動の時間は多くフットボールの試合であった。私は、雨上がりのグランドを独走していると肩にタックルされて仰向けにひっくり返って頭を打ち、爾来暫く酷い鞭打ちの後遺症に悩むことになった。
 それはさて措き、運動の世界でも、時代の流れで、もてはやされる種目が大いに変ってくる。卓球は昔から手軽さを買われて、かなり広く普及していたが、ピンポンとも呼称されていた。ビリヤード・玉突きはぐるぐる台のまわりを歩くので、運動の一種だと思っているが、私の学生の頃はかなりはやっていて、玉に凝って落第した学生もいたという。それも、戦後一時かなりはやったポケットに玉を沈める式のものではなく、四玉が主流で、上手な人はスリー・クッションであった。今では、街にビリヤードの看板を見ることが稀になった。
 そう言えば、一時のボーリング熱はどこへいって了ったのだろう。何十レーンもあるボーリング場があちこちに出来て、女性のプロボーラーは花形として週刊誌のグラビアを飾った。時々、テレビでプロボーラーの名技を見て、往時を思い起こしている。議員の頃、一時県のボーリング協会の会長をしていた。何かの大会で、始球式の際、八連続ストライクを出して二四〇点という思いかけないハイスコアーを出し、皆をビックリさせたことがあった。あれは、全然まぐれであると思うが、外の運動では、こんなことはありえないと思った。
 ボーリングで思い出すことがある。戦時中私は中国漢口の軍司令部に勤務したことがある。その頃漢口商工会議所だったかに一レーンのボーリング場があって、時に暇を見つけてボールを投げに行っていた。今日の様に倒れたピンが電動式で一斉に並ぶというようなものではなく、一勝負が終われば、トコトコ歩いて自分でピンを並べる、といった式であった。レーンも短かったような気がする。
 昭和五十年代、大人のゲート・ボール、グランド・ゴルフなども随分盛んで、選挙区で大会を催すと何百人もの人が参加して、大へんな賑わいであった。
 ゴルフも四十年代頃からブームとなって、全国にゴルフ場が作られ、県によってはゴルフ場銀座などと言われるくらい、ひしめくようにゴルフ場が作られた。開設許可をとるや、一口何百万円もの会員権を売り出し、何十億の金を手にしてドロンを極めこむ詐欺師が出没して、被害者が続出するような事態となった。
 私が音頭をとって「ゴルフ産業振興議員連盟」を組織し、ゴルフ場設置に関する実質議員立法を成立させたのも、このような事件を防止する見地からであった。十八ホールで五万人も会員を集めたというデタラメなゴルフ場は二度と出来ないようにこの法律によって規制し、又、開設に近い状態に造られるまで会員権の発行を認めない、としたのである。もっとも、健全なゴルフの産業としての振興を図るのが、この法律の主眼であったから、同時に、従来は農地の転用はゴルフ場の面積の二割以内となっていたものを、五割以内にまで引き上げて、ゴルフ場を作り易くする点にも配慮した。農地の減反がやかましかったころである。
 それにしても、景気の後退と歩調を合わせるかのように、ゴルフブームは覚め、会員権相場は暴落した。凡ては、底知れぬ地価の暴落と並行していた。日本を売ったら、米国が二つ買える、東京都を売ったら米国が買える、と言われたほどで地価の暴騰は、今思うと夢幻のような現象であった。
 つい、あちこちに筆が滑って了ったが、私がもともと言いたかったのは、そもそも野球とサッカーとのことであった。
 私は、常日頃、こう思っている。運動選手、特にプロ野球選手になるような人の数は限られている。碁や将棋などもそうだが、何でも一生懸命に練習をし、修行を積めば技が上達しプロになれる、といったものではない。天賦の才が大きく物を言う。
 運動も選手となり、プロともなるには、先ず身体が良くなくてはいけない、運動神経もすぐれていなければいけない。そんな人はやはり数が限られている。その限られている人の数の割り振りの問題となる。
 私は、大蔵省主計局で文部省の予算を担当していた。「大日本育英会法」を「日本育英会」に改め、育英制度を大改正することになった際、大学、局議で随分、綿密な議論を斗わせたことがあった。その時の河野主計局長の言葉は未だに忘れられない。「相沢君、『英』の意味を知っているかね。古来、一万人に一人の優れたものを『英』といい、千人の一人を『傑』と言い、百人に一人は『剛』、十人に一人は『雄』と言う。だから、育英会の学費貸与者が東大で二分の一にも達するようでは、とても育英会なんて言えないね」と。
 私は、思う。国の人の数が多いのは、何と言っても強みである。国民の智能のレベルが仮に似たようなものだとすると、中国や印度は日本の十倍、数倍の数の智能の優れた人がいることになる。
 運動の世界でも、それに近い現象がある。今行なわれているオリンピックのメダルの数を見ても、およその傾向は表われているではないか。勿論、スポーツに熱心な国とそうでない国との差もあるし、それに、大事なことは、競技によって、伝統的に国民の人気の差もあるし、国の養成の努力の差もあるし、一概には言えない。
 しかも、大事なこととして、言いたいことは、先にも言った通り運動に優れた人の数は限られていることである。プロ野球が盛んな時は、それに優秀な人材が集まり、サッカーが人気となれば、そこへ人材が移って行く。サッカーの人気上昇は野球の人気下降となる。私はサッカーの競技場に昼間から数万人の人が集まっているのを見ると、よくまあ集まってくるものだと思うし、こんなにサッカーに人が集まるようでは、プロ野球の観客も減るだろうな、と思うのである。
 わが国の少子化現象が、この成り行きに輪をかけて加速するのだろうな、と思うと、プロ野球界にとっても淋しいことであると思うが、諸賢どう思われるか。
 
 


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