back 理事長 相沢英之 のメッセージ
       「地声寸言」
  2011.07.05リリース

第百七回 <議員連盟>
 この間新聞を読んでいたらある衆議院議員が百五十もの議員連盟に入っていて毎月二十五万円も歳費から天引かれるし、党からの交付金(いわゆる氷代、餅代など)も少なくなっていて懐が厳しくなってきたので、どんどん退会することにした、という記事があった。
 私も現職の時、議員活動の幅を拡げ、いろいろ必要な情報を得るためにできるだけ議員連盟に入ることにしていたので、月々の会費も二十五万円ぐらいになっていたと思う。議員連盟の会費は、他党のことは聞いていないが、自民党では毎月国会から支給される歳費から天引きをすることになっていたので、確実に徴収される仕組みになっていた。会費の額は議連によってまちまちであったが、大抵は月額二〇〇円から三〇〇円、中には日韓議連のように月額一万円というものもあったが、例外であった。それでも数であるから一〇〇以上もの議連に入っていれば、積り積もってかなりの金額になる。
 集められた会費は議連の幹事長が掌握しているところが多いが、予算、決算必ずしも毎年報告されていないところが多い。
 政治家の活動は党、派閥の目的、意思に拘束されることが多いが、絶えず発生する課題について有志が集まり、時には派閥を越えて議論をし、行動することも少なくない。つまり議連の存在意義は政策集団であると思っている。
 私は、かなり積極的にいろいろな議連を創って来た。一番重要に思って熱心に取り組んできたのは「きさらぎ会」という議連であった。
 昭和五十一年の十二月五日の総選挙で初当選した自民党の衆議院議員は五十余名いたが、その中から殆ど自然発生的に有志が糾合して始めた政策研究会であった。私が会長、新潟の渡辺秀央が幹事長ということで最初は十数名のメンバーであったが、逐次参加者が増えて一番多い時は六十三名もの会員を擁していた。このきさらぎ会を中心に財界、学界、官界の有志も募り新政経フォーラムを創った。一時は財界三十数名、学界十名、官界は一省庁大体二〜三名として約五十名にものぼっていた。会費は議連月額一万円、財界は二万円、学界、官界は会費なしということにした。
 毎月第二木曜日八時からフォーラムを、第四木曜日五時からきさらぎ会の例会を開くことにした。例会には、原則として講師を招き、食事後一時間程度の話を聞き、あとフリー・トーキングという形をとっていた。
 きさらぎ会は議員のみとし、代理は認めず、講師も中曽根氏など派閥の長なども招いたがおおむね喜んで出席をしてくれた。各省の次官、局長クラスも時事問題について講師となって貰った。フォーラムも同様であったが、会員は各社の会長、社長も多かったので代理を認めることにした。
 会合の際テープをとっていたが、きさらぎ会は会話が機微に觸れることがあって公表せず、フォーラムはテープを印刷に付して会員には初めは毎回、その後は毎年分を取り纏めて印刷をして冊子として配布することにしていた。
 きさらぎ会は政策集団であって派閥ではないという認識のもとに政策研修を続けていたが、十年目には記念パーティーを赤坂プリンスホテルで大々的に開催し、話題となった。ただ、派閥に属している人が大部分であったこともあって、きさらぎ会が独自の派閥的な行動を務めて避けていたことは事実であった。もっとも私には派閥と言わないまでも、も少しハッキリした政策集団に持って行きたい気持があったが、反対があり、ムリをすればきさらぎ会が分裂する危険性があったので控えることとした。今にして思えば、その意図を明らかにすることによって違う路線が表われてきたかも知れないと思う。
 
 


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