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相沢英之 のメッセージ 「地声寸言」 |
2011.06.21リリース |
第百六回 <ツァラ・レアンダー> |
今の若い方々には全然興味のない話かもしれないかな、と思いつつ一筆記している。
戦前よく見た映画の中で本当に好きな俳優を挙げるとすれば、男ではジャン・ギャバン、ゲイリー・クーパー、ルイ・ジューベ、フレッド・アステアかな。女では、ツァラ・レアンダー、ミシェリーヌ・フランセイ、マレーネ・ディートリッヒ、グレタ・ガルボ、イングリッド・バーグマン、ジーン・アーサー、フランソア・ロゼー、アンリィ・デュコー、マルタ・エゲルトなどで、どうしても女優の方が多くなって了う。その中で、ミシェリーヌ・フランセイの名は珍しく思われるだろうが、彼女は「幻の馬車」の中でルイ・ジューベと共演をし、当時高校生であった私はいわば一目ぼれをして、どうしても彼女の映像を手にしたく、暮夜秘かにタバコ屋の軒先に貼ってあったポスターを一枚失敬した覚えがあった。彼女によく似た女の人を追い求めて、だめだったことも思い出している。 グレタ・ガルボ、イングリッド・バーグマンとともに北欧スウェーデン生れの三大女優と言われたツァラ・レアンダーは「世界の涯てに」のような名作に登場しているが、私の記憶に深いのは、「故郷」という映画の主題歌を唱うアルトの美しい歌声であった。 昭和十七年の晩春、私は海軍の短現の試験を受けた。海軍は陸軍と違って学生を大事にして、大学卒を経理将校として採用する制度があり、その試験に合格すると四ヶ月の学校教育のあと直ちに主計中尉に任命することになっていた。陸軍では、誰でも初年兵の訓練を経て、経理将校の採用試験に合格したものを学校で教育し(甲種幹部候補生)、卒学して初めて主計の見習士官に任命し、それを半年余り勤めてやっと主計少尉に任官することになっていた。成績の悪かったものは乙種幹部候補生として教育後下士官に任命されるということになっていた。 だから、有資格の大学生はこぞって海軍の短現を志願していた。私も当然そうであった。しかも、当時の高等文官の試験(高文)に合格したものは殆ど短現の試験に合格していた。私も高文の試験に合格していたから大丈夫と自信はあったが、あにはからんや眼の試験で不合格となった。何も海軍に入らなくてもお国に盡くす道はあるから、と慰めともつかぬ軍服の試験官に言われて、試験場を後にした私は、あゝこれで噂に聞く隠惨な初年兵生活が待ち構えていると思うと何だか無性に滅入って了った。築地から銀座に出て白十字というレコード店に入り、レコードを出して貰って聞いたのがツァラ・レアンダーの「故郷」のあの甘いアルトの歌声であった。晝の人気のない店の個室で繰り返し聴く歌声は心に滲み入るばかり。一枚を買い、大事そうに持ち帰ったのも、そう遠い昔のようでない気もする。 今でも暗唱せよと言えば、殆ど一言一句の末まで覚えている。 その年の九月二十五日東大を半年繰り上げで卒業し、大蔵省入省、僅か七日分の月給を貰って入営した私は東部第十七部隊、近衛輜重兵連隊で近くで見たこともなかった馬の世話をすることになったのである。 ツァラ・レアンダーの歌のCDはまだ手に入れていない。そのうち是非買って、その頃聴いた歌を思い起し、遣る瀬ない胸の内をも一度味わってみたいと思っている。 何故スウェーデンに三人もの素晴らしいスターが誕生したのかは謎であるが、私は近頃立て続けに昔懐かしい映画をDVDで見ることにしている。 実は七月十六日学士会館で「パリの屋根の下」の上映を機に元文化庁長官の三浦朱門氏と映画をめぐって対談をすることになっている。監名会主催である。それで少しは準備のためと思って手持の映画のDVDを見ている。 ジャン・ギャバンの「望郷」、ゲイリー・クーパー、マレーネ・ディートリッヒの「モロッコ」も見た。ディートリッヒが最後に外人部隊のクーパーを追い、ぞろぞろついて歩く女たちの後を追って砂漠を、そして歩き難くなった靴を脱ぎ捨てて歩いて行く。砂漠の砂は暑くて裸足で歩くなんて出来っこない、と批評家が書いているのを読んだが、あれはあれでいいんだ、画としてみればよいのだ、と思った。 何はともあれ、映画の世界は在りうるものの、在りえない姿を描く夢の一つであろう。暫し浮世の現実を忘れて、心を宙界に浮かせてみるのもいいことではあるまいか。 |