back 理事長 相沢英之 のメッセージ
       「地声寸言」
  2011.03.22リリース

第八十六回 <「津浪の恐ろしさ」>
 三月十一日東北でマグニチュード9・0という観測史上最大の地震に見舞われた。関東大震災の三〇倍の大きさだ、という。
 関東大震災の起きた大正十二年九月一日は当時四才であった私は愛媛県大洲の父の任地に両親と一緒に向っていた列車の中にいたという。夏休みを母の実家のある神奈川県の二宮で過した後丁度八月末日に帰途についたために大地震に遭わずに助かったのだそうだ。
 それはとも角、津浪の被害の怖さは昭和三十五年五月のチリ津浪の時に味わっている。
 当時、私は、主計局で農林担当の主計官をしていた。三陸のリアス式海岸を中心として太平洋岸のかなり広範囲にわたって津浪の被害が発生し、その被害復旧の対策に追われていた。一ヶ月後、現地を視察する機会を持ち、津浪による被害の怖ろしさを痛感したが、その際一つの印象に残ることがあった。
 というのは、それより四十年以上も昔の昭和八年に三陸がチリ津浪に襲われた後、再び津浪の被害を受けない抜本的な対策として三陸海岸沿いの道路を海岸線からかなり上の方につけかえ、その道路から下には家を作らないように決めたということである。それが、年月の経つうちに忘れられたか、安心してもう大丈夫ということになったか、よくわからないが、当初守られた規制に背いて、その道路より下に最初は作業小屋のようなものが、そしてそのうち普通の家が建てられるようになり、それが今回の津浪で被害を受けた、というのである。
 それ自業自得と言いたいところだが、その家の建築を認可した市町村にも責任はなしとしないので、結局、将来のことはともかくとして、当面被害復旧について配慮をせざるをえなかったのである。
 それで、考え直さなければならないのは、公共施設の災害復旧は原状回復が建前であるため、将来再び災害が起る危険性のあるところに復旧工事を行なうことについてである。そんなことをしないで、今後被害の発生し難いところに場所を移して復旧工事をする方が理に叶っているではないか。
 災害復旧は又原形復旧が建前であるが、それに拘わらず、改良復旧を大幅に認めてよいではないか。発想の転換、弾力化である。
 被災者個人の救済については、先に阪神淡路の大震災の時に問題として採り上げられ、私どもが中心となって実質議員立法で補償法を作り、生活必需品等の購入に戸当り百万円、住宅の復旧費に二百〜三百万円を補助することを骨子とする実に画期的な法律を成立させた。
 今回の大地震でもこれは役に立つと思うが、できれば更に補助金の限度額を引き上げ、とくに住宅の復旧費の補助はせめて戸当り五百万円に引き上げて欲しい。
 個人財産の補償にになる点が財政の大原則に反するという理由で、現行法案を作る時にも財政当局は大反対をしたので説得に骨を折ったが、災害の応急住宅の建設に戸当り四百万円、その解体に二百万円をかけるくらいなら、折角自分の家を再建しようと心あるものに戸当り五百万円を補助しても、何が悪いのか、と思ったのである。
 災害の予防は大事であるが、住宅は勿論だが、あらゆる施設をいかなる大災害が起っても大丈夫なように強固なものを作ることは費用の関係もあって不可能であるし、又、考えようによってはムダな投資にもなるので、それは遂次整備を進めて行くとして、差当りは被害者に対し充分な手当てをすることの方が妥当なのではないか、と考えているが、読者諸賢如何に。
 
 


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