back | 理事長
相沢英之 のメッセージ 「地声寸言」 |
2011.03.18リリース |
第八十四回 <「手話でいいのか」> | ||||||||||||||||||||
私は、かねて手話が気になって仕方がなかった。選挙の立会演説の時など手話がついたが、本当に自分の言っていることが正確に伝わっているか、どうか、がいつも心配であった。
私の記憶では、戦後GHQが手話を禁じて専ら口話法を耳の不自由な生徒の学校(養護学校、現在は特別支援学校という)で教えるようになった。近頃確かめたところ、どうも、禁じた、という事実は明らかではないが、原則はそうなっていたようである。 その後、やはり、口話法だけでは、その教育を受けていない大人との交流ができない、などの理由からか手話が復活したようで、今も学校では正課としてカリキュアムには入っていないが、事実上教えているという。 平成二十一年の文科省の学習指導要領及び解説における手話の位置付けは次のようになっている。
これは思い違いであってくれればいいが、どうも厚生省(今厚労省)が昔から手話にこだわっていて、いわば捲き返しをしたのではないか、という気がする。 おおよそ意思が通じれば結構という見方があるかも知れないが、手話は何と言っても口話法ほど細かく正確に意思を通じられない以上、やはり口話法の大原則に帰り、手話を用いるのを、少なくとも学校で教えるのを止めるべきではないか。 御意見があれば是非聞かせていただきたい。 も一つ付け加えておきたい。私は、戦後GHQの指令で始まった六・三制教育の中で三つの問題があると考えていた。幼児教育、義務教育、定時制教育である。このうち定時制教育は夜間に学ぶ人の数が減小してウエイトが小さくなったが、幼児教育も保幼一貫化の問題は未だ解決されたとは言い難く、特殊教育ー今は特別支援教育と呼ばれるーは依然として問題を抱えている。義務制は戦後の教育改革において認められたが、長らく政令で適用期限が定められていなかった(昭和五十四年度適用)。 これらの弱点を是非し、問題の解決を図ることの方が学級編成基準を三〇人とすることなどより重要ではないか。 |