back 理事長 相沢英之 のメッセージ
       「地声寸言」
  2010.05.18リリース

第六十六回 <「ギリシャの財政危機」>
 ギリシャの財政危機が世界の金融市場を揺さぶっている。EUとIMFがギリシャ政府に金を貸して支援することを決めている。支援が動き出せば投資家の不安もなくなるとみているが、余波は激しく、ニューヨークのダウ平均も暴落、ユーロは一時126ドル後半、日経平均も5月6日、連休前の4月30日より361円も安い、10695円で取引きを終えた。
 ユーロの枠内に入ると国別の対策のとり難い点もあるが、EUやIMFの支援に期待するしかない。
 大学に入った頃プラトン哲学に凝って、図書館で毎日バーネット版のギリシャ語の原文にあたったり、邦訳のプラトン全集を読みふけったりしたが、効果覿面、法学部一年の肝心な勉強の成果は優が一つ。愕然として、プラトンと決別し、法律に打ち込むことにした思い出がある。
 しかし、ギリシャへの思いは断ち難く、昭和30年、欧米諸国の予算編成制度の調査を命じられて、出張した時、パルテノンを是非この眼で見たい、と帰途アテネに一泊した。
 夕陽を浴びてアクロポリスの丘にそびえるパルテノンの宮殿を眺めた時の感動はいまだに忘れ難い。
 そんな過去もあって、昭和51年衆議院議員に当選した時、同志と語って日本ギリシャ友好議員連盟を組織し、その会長となった。
 ギリシャの文化財委員会の招待で3日間のエーゲ海クルーズを楽しんだが、ミコノスやら何やらの遺跡の発掘現場も大へん興味があったが、招かれている各国の人はいずれも学者らしく、毎晩、ギリシャ語のビデオを見せられたのには閉口した。
 十数年首相を務めたというパパンドレウ氏の葬儀に特派大使として出席を命じられたが、物凄く暑い夏の日射しの下を何千人もの葬儀の列が続いているのに、今さらながら国民の彼に対する尊崇の念を思わされた。
 初めて、アテネを訪れた時、日本人は藤さんという公使がイギリス人のタイビストと20人で公使館に勤務している他は1人しかいないという話であった。
 藤さんはたまたま私の旧制高校の先輩であった。さあ、出かけますが、と言って一部屋の公使館の鍵を閉めて、マラトンに車を走らせた。燃えるような青い海辺に海水浴場があった。
 昔、昔その昔、ここから敵襲を知らせる走者がアテネへ走り続けたのが、マラソンの発祥と聞いた。
 アテネのレストランの葡萄棚の下で陽が暮れて、夜になるまで、あのちょっと癖のあるワインを藤さんと心行くまで飲んだことを今も懐かしく思い出す。
 あれも、これも今は半世紀も昔である。ギリシャの経済回復を心から願いたい。
 
 


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