back 理事長 相沢英之 のメッセージ
       「地声寸言」
  2010.03.26リリース

第六十回 <「密約と一札など」>
 
@「密約と一札」  
 
 核をめぐる日米間の外交上の密約が国会で採り上げられて久しい。沖縄返還当時から問題とされていたので、かれこれ四十年近い歳月が経っている。
 なにせ米ソ冷戦時代であったから、米艦に核が積まれていたことは明らかであったし、その船が日本の港に入ることがあったのだから、それを持ち込みに当ると言えば、持ち込みがあったと言わざるをえない。密約の一つはそれを指していると思われる。
 いずれにしても、そういう話し合いを日米間でしていたなら、いつまでも国民の前に隠しておくことが不当なことは明らかであるから、今回、そのいわゆる密約が明らかにされたことは当然のことである。
 今回明らかにされた事柄以外にも密約があるのではないかと疑われるのは、関係文書の一部が破棄されたか、否か不明であるが、少なくとも、あった筈のものがまだ発表されていないとすると(三月十九日東郷元条約局長証言)、どんなものがあるのか知りたいし、もし又、破棄されていたのだとするとその責任はどこにあるのか問題である。
 行政府内でいろいろ申合せがあったり、一札を交したりすることがある。予算の折衝においても、いろいろ一札を入れたり、とったりすることがある。その一々は公開されていないが、密約と言うほどのものではないし、公開する意味もないと思う。その点国家間の約束ごととは、質が違うし、国民が知る権利があることであるから、当然公開すべきものである。
 今、問題となっている核に関するもの以外にも国家間の密約が存在するなら、公開すべきものと思う。
 
A一括交付金は反対
 
 鳩山首相が議長となっている地域主権戦略会議は三月十八日二〇一一年度に導入する一括交付金について関係省庁から意見を聞き、制度設計に着手した。公共事業費など国からのひも付き補助金を廃止・統合して地方の自由度を高める狙いとなっているが、各省からは早くも反対の声が上っている。
 補助金の整理は、古くかつ新しい大問題であって、歴代内閣で補助金整理を政策に揚げていなかったものはないくらいである。
 地方の収入としては地方税や手数料などの収入と国から地方へ交付されるものとがある。後者は大きくわけて地方交付税交付金と補助負担金(以下補助金という)である。このうち、地方交付税交付金は、一般財源であって「地方自治の本旨の実現に資するとともに地方団体の独立性を強化することを目的とするものである」(地方交付税法第一条)。従って、国は交付税の交付に当っては、地方自治の本旨を尊重し、条件をつけ又はその使途を制約してはならないと規定している(仝第三条二項)。
 それだから、地方交付税交付金はいわば地方団体の固有の財源、自主財源とも見られている。
 各省に計上されている補助金は、言うまでもなく、各省の行政目的を達成するために地方に交付されるものであって、「法令の定及び補助金等の交付の目的又は間接補助金等の交付若しくは融通の目的に従って誠実に補助事業等又は間接補助事業等を行うよう努めなければならない」。(「補助金等に係る予算の執行の適正化に関する法律」第三条の二、後段)となっている。
 従って、補助金は特定の目的のために国から地方に交付されるものであるから、そもそも目的を定めない補助金とは在りえないものであって、もし、そうしたいのなら、地方交付税に統合するしかないのである。従って、今日まで何十回となく行われて来たいわゆる補助金整理は補助金を廃止して地方交付税に振りかえるか、幾つかの補助金を統合するかのいずれかであった。なかには、農林水産省の構造改善事業のように一定の事業費の枠内でいくつかのメニューを示して地方に選択をさせる補助金もあったが、これも広い範囲ではあるが、目的を示し、かつ事業のメニューは示していたのである。
 そこで、もし補助金について全く目的を示さず、いわゆる「ヒモ」をつけないこととするなら、交付税交付金に統合するのが妥当なのであって、もしそれ一挙にそこまで行かず、各省の行政目的に従う補助金の姿を残したいのであれば、各省ごとに、例えば、公共事業、社会保障、教育、農業などの大まかな政策分野に分けた補助金にし、各省の関与を残す構想もありうる。
 補助金整理の問題は、国と地方との綱引きのような様相もあるのであって、国が何等かの形で地方に対する指導監督の権利を維持したいとならば、法令上の権限だけではなく、いわば財政上のヒモをつけて置きたいと思うのである。ヒモは何も太くなくても、細くても丈夫なものでいいという考え方は昔からあるのである。
 もし、言われている一括交付金なるものが全く地方が自由に使える性質のものであるなら、地方交付税交付金と一緒にすべきものであって、国税に対する交付金の割合を引き上げるだけのこととなる。
 もし、そうなれば、補助金を一つのいわば、武器とする各省の地方に対する行政指導は恐らく力を喪うこととなるに違いない。もっとも、各省から地方への行政指導など全くなくてもいいという考え方であれば、何おかいわんやである。
 保険を含む社会福祉も教育も国としての一つの水準を維持することは必要であって、もし、それらの基幹的な行政水準が維持されないとなれば、他よりも立ち劣っている地方の住民は黙っていないであろう。
 又、河川や道路などを採り上げてみても、いくつかの、又は多くの地方団体に跨がるような公共施設の規格がバラバラであっていいわけはないのであって、やはり、国の統一方針のもとに事業が行われることが必要であることは言うまでもない。
 こうしてみると補助金の廃止には一定の限度があり、又、現在の一括交付金の構想も支持できないとなれば、もう一度原点に返ってこの問題を徹底的に検討すべきであると考えるが、読者諸賢如何に思われるか。
 
 


戻る