back 理事長 相沢英之 のメッセージ
       「地声寸言」
  2009.12.16リリース

第五十四回 <「バラマキはいけないのか」>
 十一月二十九日付の毎日新聞(朝)の「潮田道夫の千波万波」の「バラマキでいいのだ」という見出しが目についた。
 民主党のマニフェストにある代表的な政策を挙げれば、こども手当、高校無償化など、いずれもバラマキ風である。従来バラマキ風の予算には反対が強かった。このコラムによれば「とろこが、大和総研の原田チーフエコノミストは『バラマキ政策は悪くない』と擁護するのである。」
 私は、長い間大蔵省の主計局にあって予算査定に携わって来たが、確かに昔からバラマキ型の予算は反対ないし敬遠されて来た。ただ、私は、当時からバラマキ型の予算でもいいではないか、と思っていた。
 思い出すままにいくつかの事例を挙げてみる。
 農林担当主計官の頃である。北海道の開拓農家がとてもやれなくなって離農するものが後を断たず、終戦後六〇万農家も入植したのに十数年の間に三分の一になった。冷害や水不足などで三年に一作普通に収穫があればいい、というような状況では、さらに離農を希望するものも多いが、借金の足抜きが出来ない。然るべき金を貰えば借金を払って職を見つけて他処へ引っ越したいので、補助金を出してくれという要求があった。
 昭和三十五、六年頃である。戸当り約五〇万円の借金を肩代りできるようにという内容であった。足抜きをする農家は土地を残留する農家に売って、耕作面積を拡げられるようにし、自分達は借金を払い、農地の売却代をもって他処に移転をするというものであった。同時に、農林漁業金融公庫の農地取得資金の融資枠を拡げて、残留農家が土地を買えるように手当てをするという構想であった。
 農家に直接現ナマを渡すという考え方は、当時は余り受け入れ難いものであったが、私は思い切って認めることにした。無論喜ばれたのである。
 又、あれは昭和三十四年伊勢湾台風の時であった。天龍川の河岸にしがみついているような農地が溢水で洗われてダメになったので、災害復旧工事で原状回復をして貰いたいという要求があった。
 調べてみると、急な崖に沿った田畑であるだけに、假に現状復旧とすれば、崖の補強から工事を進めなければならず、戸当り数千万円もかかることになる。そんな復旧工事に金を注ぎこむくらいない、別の土地に移り、そこに必要な農地整備事業をやった方が、よほど金も節約できるかわからないし、又、そうすれば今後災害の再来を防ぐことができるではないか、と私は主張した。しかし、災害復旧は現状回復が建前であってそれを崩すことになると、他の災害復旧工事へもいろいろ影響するとして、主計局内に反対論も強かったが、私は、それを押し切って、新天地への移転を認めたのである。これは災害復旧事業としては、かなり画期的なことであった。しかし、こういう発想の転換は必要だと、私は、思っていたし、それを実行した。しかし、農林省の原局の態度は、賛否必ずしも一ではなかったと思う。無論、新天地に移り、所要の助成措置を受けることは好ましいことで歓迎すべきことではあるが、この考え方を余り伸展させると、場合によっては、災害復旧が、経費の比較的かからない事業に切り換えられて了って元来非常的、応急措置を目的としているだけに、そういう事業内容の転換は賛成し難いという空気もあったが、私は、反対を押し切って、移転復旧工事の助成を認めることにした。
 阪神淡路の大地震の後、天災地変に際し個人の災害に対して政府としてどんな対策をとることができるかが、大議論となった。当然である。
 私達は超党派の議員連盟を作って、その対策作りをすることになった。「自然災害から国民を守る国会議員の会」である。
 私達は先ず被害者個人に対してとりあえず生活を再建するのに必要な資金を戸当り百万円支給することを目指して法案作りをはじめた。何十ぺんとなく会合を持ち、議論を進めた。一番大きな抵抗は大蔵省の主計局から起った。個人に直接金を支給をすることは、前例がないし、又、假にそれと実施したら後々大へんな悪例となるという意見であった。
 私達は、最後は喧嘩腰で、大蔵省を説き伏せて法案作りに成功した。私は、この程度の金額だから、キレイにのしでもつけて進呈したらいい、と主張したが、そこは役所で、購入する品目をどうこうとか、領収書が必要だとか、詰らぬ条件をつけ加えて、大へん不愉快であった。
 それから、次は、住宅の災害復旧に補助をしようと、要綱作りにとりかかった。これに対しては、前にも増して強い反対が大蔵省からあったし、又、甚だ憤慨したのは、本来ならば、この法案作りに協力すべき防災局が秘かに反対に回って議員の説得運動を始めたのである。
 途中の経過は省略する、私達は、その強い反対をハネ返して、住宅の復旧に戸当り二百万円を支給する法案を作り、成立させることとなった。
 災害に際して応急住宅を作るのに戸当り四百万円、又、用済みを撤去するのに戸当り二百万円かかる。つまり戸当り六百万円もかかるのだから、その金額の範囲内で、自分で家を建てたいという世帯がいれば、それを現金で補助してやったらいいじゃないか、という考え方であった。
 大蔵省などの反対は、個人の財産形成に国が助成をするのは、国の財政運用の基本に反するという言い分であった。私は、農地農業用施設という正に個人の財産についてその改良事業に高率の補助をしている例なども挙げ、やっと説得を果したのであった。
 見方を変えれば、これも一種のバラ撒きである。私は、バラ撒きは必ずしも悪くはない、と主張するのは、そういう前例もいろいろあるし、なお、途中の段階で、団体などに金が零れないだけでも、いい点があると思っている。
 例えば、農林関係の補助金など、農作業の合理化・機械化などを助成するのに際して、何か、組とか、協業形体をとらなければ、補助しないなど、いう考え方が牢固として抜け難く存在するが、それなども個々の農家に対する補助に改めた方が余程スッキリするし、途中で金か消えるような心配がなくていいと思っている。
 まだ、書きたいことがあるが、今までのところについて読者諸賢如何に思われるか。
 
 


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