back 理事長 相沢英之 のメッセージ
       「地声寸言」
  2009.09.29リリース

第五十一回 <「モスコウの変貌」>
 今年も九月全抑協(全国強制抑留者協会)会長としてモスコウに出張した。ロシア政府の担当官との七回の会合、日ロシンポジウム出席などの行事が正味三日間の日程としてはかなり詰っていたので、街中を歩く時間は殆んどなかったが、それでもかいま見るモスコウの変貌について、いくらか記してみたい。去年に対してというより、二十二年間ぐらいの変り様として受けとっていただきたい。
 まず第一に気がつくことは交通渋滞である。成城に住んでいる私が車で都心に出るのに日によってかかる時間が大きく違う。早ければ三十分だが、事故でもあれば一時間半かかっても着かないことがある。モスコウの車の混雑はそれを遥かに上回るものであって、たった十分で行けそうなところへ一時間もかかることがある、というが、本当である。交通信号も日本より遥かに整備されていないが、とにかく広場など車が角つき合って動く気配はないし、もう諦めてクラクションも鳴らさない。ただ、ジッと、このもつれた車の流れが回復するのを待っているといった恰好である。
 鳩山首相の長男紀一郎さんがモスコウの交通渋滞の解消をテーマとしてモスコウ大学で研究を続けているという新聞記事があったが、正に、時宣をえた研究と賞めてあげたいくらいである。
 モスコウは今ヨーロッパで高いベンツが一番売れる都市であると聞いていたが、トヨタ、ニッサン、スズキなど日本車も多いし、プジョー、フォードなどの外国車もよく見る。本当に今のうち、この渋滞の解決法を見出し、実行して貰いたい。
 九月は夏の終り、というより冬の初めと言った方がよい、いつものロシアであるが、今年のモスコウは何故か割と暖かく、現に十七日の昼のモスコウは二十二度であったが、十八日の八時に着いた成田は十九度であった。
 ですから、モスコウの街を歩く人々の服装も日本と大差はないようであった。昔と比べて気がつくのは、男の服装は全く変らないが、女の服装はかなり違っていることである。昔はパリやロンドンなどと比べてモスコウはどちらかと言えばくすんだ色の服が多いように思ったが、今は大差がない。それに以前は女性のスラックスは少なかったが、今はジーンズやびっくりするような短パン、スカートも長いのは殆んど見かけず短い腰蓑のようなスカートの下は黒のスパッツ、昔は日本では車屋がはいていたようなもの、時々は長靴、つっかけ草履のようなパンプス、長い針のような踵のハイヒールは少ない、それにどうして破れた服の上、下。
 どうもテクニカルタームの知識が乏しい私には、それ以上仔細に服装を表現する能力が欠けているか、とにかく一言にして言えば、以前は、流行一色と思われる時期もあったが、今は、良く言えば、それぞれ個性が溢れた服装、悪く言えば、何だか、勝手気儘な服装で、それも回りを余り気にしなくて楽でいいなと思う。
 一昨年のモスコウにはカジノが溢れていた。三百とも四百とも言われてプチ・ラスベガスといわれた通りもあったが、今年行った時は、プーチンの命令一下カジノはモスコウからは消えて、サクトペテルブルグなど二〜三ヶ所にだけ許可されるようになったと聞いた。因みにサクトペテルブルグはプーチンたメドベージェフの出身地である。流石独裁国家だなと感心したり、驚いたり。これで十万人が失業したという。
 十年ほど前は、手製の人形などを抱えて道行く人に売っている人が並んでいた街角があった。モスコウの市街を見下ろす見晴台にも多勢の物売りが集まっていた。それが、今は、街で物売りは見かけなくなったし、見晴台には十数ヶの店が屋台を並べていた。アルバート通りの真中を陣取っていたたくさんの店も禁止されて、別の場所に固めて移されていた。何だか、島原を動かし、吉原を移した徳川時代思わせるような、見方によっては小気味よい行政の仕打ちであるが、よくまァ市民が黙っているなァという気がした。もっとも政府のすることに逆らった場合、どういう仕返しが俟っているかは、ソ連邦の共産党政権化で充分に見せられているのだろうから、馬鹿な真似はしないのであろう。今から四〇年程前、初めてモスコウへ出張で行った時は、スターリン時代に建てられた高い尖塔を持つ黄色い大きな建造物の一つ、ウクライナホテルに泊ったが、ホテルの周辺には怪しげな人間が何人もウロウロして、ドルはないかと誰にでも呼びかけていた。公定レートより遥かに高いレートでドルをルーヴルに交換してくれたらしい。偽札を把まされてはバカらしいし、又、どこで誰か見ているかわからない国だと思って、眼もくれなかったが、今は、その種の人間は見かけなかった。
 宗教は阿片であるといってを禁じ、教会を打ち壊したレーニン時代は過去のものとなり、スターリンの沢山の銅像も消滅したし、新しい近代的な建物が並び、西欧のブランド品を売る店が目白押しに並ぶようなストリートも出来たし、昔のモスコウの何となく陰鬱な街の姿も一変したような気もする。
 昔からソ連邦は多民族の国家であったし、ロシア連邦になっても民族問題はチェチェンを初めとしてなくならない。日ロシンポジウムの懇親会の席上、四島返還が議題となった時、笑話の好きなロシア人の一人がチェチェン人と一緒なら四島を引き渡してもいいと言い、大笑いとなったが、チェチェン人問題の処理の難しさを言いえていると思って聞いていた。
 三、四日間モスコウに泊っていたからと言って、よくわかるものでもないが、物価は一般の人の収入に比して高いことはよく聞かされた。ホテルの宿泊料も高いし、レストランの勘定も決して安くない。よくまァ我慢をしているな、と思って、役所の人に尋ねたことがある。外務省の局長であったが、月給では世帯の経費の三分の一も賄えないので、学校で教えたり、文章を書いたり、つまりアルバイトで三分の二を稼いでいるのだ、と答えていた。そうやって、何とかバランスのとれる人はいいが、そうでない人はどうしているのかな、と思わされた。書かないでおこうとも思ったが、スピード違反なども金さえ払えば勘弁してくれるというし、何かと袖の下が横行しているという噂と無縁ではないと思った。わが国では考えられぬことである。
 以上、気がついたことを書き連ねて来たが、群盲象をなぞる類でなければ幸いであると思いつつ一応頁を閉じるが、諸賢如何に思われるか。
 
 


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