back 理事長 相沢英之 のメッセージ
       「地声寸言」
  2009.08.21リリース

第四十九回 <「連呼行為はよろしい」>
 八月三十日に向って暑い夏の戦いが続いている。流石お盆はいくらか静かであるが、これが過ぎて、十八日公示ともなれば、再び候補者の名前の連呼が始まるだろう。
 私は、地元鳥取で十回選挙を戦ったが、選車(選挙カー)には何かと気を遣った。トヨエースを一台選車に仕立てていたが、先ず車体の色、模様、スピーカーの大きさ、数、位置など。候補者氏名の書く字体、大きさ、色、書く場所など。照明灯のつけ方(行灯型は何故かダメ。)など。
 この選車から何をしゃべるか、が問題である。余り長いと、車が通り過ぎる間に候補者の氏名の放送がなくて、誰の車が通ったか、わからない。この頃は、昔と違って、民家の障子は皆アルミサッシに変っていて、声が甚だ通り難くなった。早く走らないと遠く万遍なく駆れないが、といって余り早いと、折角飛び出してくれる人に挨拶出来ず、悪いし、気の毒である。
 選車をどのルートで走らせるか、町から町へと後援者の人達が乗ってリレー式に繋いで行くのであるが、予定に時間と余り違っては困る。ことに雨が降る場合などは狂い易いし、といって傘をさして長く立って待ってくれていた人に愛想なしでは済まない。部落の所々に集まって俟ってくれる人に対しては、やはり下車して握手をして回る。抜ける人がないか気を遣い、二度握手したりしないかも気を遣う。時間が遅れてくる。下車しないで行こうと車中の誘導者が言うが、その辻で皆を集めている責任者は下車してくれなくては困るという。板挟み。時間があれば、その所々に応じて挨拶をする。
 何であんなに連呼ばかりするのか、聞きぐるしい、と言われる。しかし、車が駆っていると、例えば時速四〇キロなら毎分六六六メートル、毎秒一一、一メートルのスピード。三十秒も間が開いたら、四〇〇メートルも先に行ってしまうので、名前が耳に届かない家が出てくる。そこで、恥も外聞も気にせず、連呼行為となる。先に名前を知って貰うこと、その本人がここへ来てくれたということを明らかにすること、などに意義がある。そして時間の許す限り裏通り、細い道をも駆る。
 選車からは、部落々々で呼びかけなくてはならない。そのためには、地元の地理に明るい人(大てい議員)に乗って貰って、その部落名を教えて貰う。マイクは本人が握るのが一番いいが、疲れてそうにも行かない場合がある。そこでウグイス、カラスを使う。女性と男性である。ウグイスの声は綺麗だが、ボリュームが低いと声が遠くに届かないし、カラスも汚い声だと聞く耳に不愉快だろう。
 しゃべる文句が大切である。連呼の間に、気の利いた短い文句をしゃべる。ぶっ飛ばすときは連呼だけにする。山の中に入る。猿ぐらいしかいないようなところでも、聞いている人がいる場合もある。気のきいたことを言って笑わせよう、と思ったら不眞面目と思われたりする。気を遣うものである。街中では、直ぐ店の隣などを駆ったりするから、絶えずアンプについて声の大きさを調節する。一票は大切だ。一票で泣いた人もいる。
 連呼行為は大切である。読者諸賢如何に思われるか。
 
 


戻る