back 理事長 相沢英之 のメッセージ
       「地声寸言」
  2008.09.08リリース

第十七回 <ムダボとは(二)>
 何がムダかと考える時に、問題となるのは一つは国の政策である。
 例えば、過疎化対策を採り上げてみる。全国あらゆる地域で過疎化現象が進んでいる。とくに北海道、東北、北陸、山陰、四国、九州地区は著しいと言われている。
 ほってはおけないというので、僻地(辺地)対策、過疎化対策、豪雪地域対策など、多少色合いと目的は異にしているが、似たような政策が樹てられ、立法措置もとられ、必要な予算も計上、実施されて来た。
 ところで、さて、こういう政策がどのような効果を持ったか実証されているであろうか。もとより、そういう施策をしなかった場合にそれらの地域がどうなっているかを調べることは至難であるから、その効果の実証も難しい。細かく見れば、いろいろな点で具体例を示すことができるかも知れないが、全体としては、さて、どうであろう。
 そこで議論が出てくる。
 全国的にみれば、人口は首都圏、近畿圏、中京圏などに集中して来るし、各ブロックの中では、例えば、北海道は札幌に、東北は仙台に、中国は広島に、九州は福岡にという工合に人口が移動し、人口が集中する三大都市圏の中でも東京、大阪、名古屋及びその周辺の人口が増加する。
 各県の中でも、殆んどその中の県庁所在地その他の中小都市に人口が集まり、県境周辺は過疎化の一途を辿っているところが殆んどである。
 過疎化対策などを進めたからこそ、この程度で喰い止めることができたのであって、もし、何もしなかったなら、こんなものではない、過疎化現象はとんでもなく進行しているに違いないという有力な反論もあろう。そうだと思う。
 しかし、考えてみるに、過疎化対策にどれだけ多額の財政支出をしているか、その中には補助金などの助成措置、交付税配分上の特別措置などを集計してみると、一体だれだけの金額になっているであろうか。どこかに資料はあると思うので探してみたいが、同時に、もしそういう対策をしなかったら、過疎地域は一体どうなっていたのだろうか、そして、それが、日本全体としてみて、どういうような問題が生じていたのであろうか。時々ふと、考えてみることがある。
 そこで、ムダボの議論である。
 人口が都市に集中するのは、言わば、自然の現象であって、その自然の流れをせきとめようとすることは、まさに労多くして功少なしということにならないか。
 早い話が、人の集まっている所へ行けば何かしら仕事があるし、職につけるし、飯が食える、というのは事実であることを皆知っているから、嫌でも都市に人が集まってくると言えよう。
 以前、ニューヨークで聞いた話である。英語が全然ダメな人が給食屋をやって繁昌しているという。よくやれるねと尋ねたら、なに、日本人が五万と働いているので、その人達の晝食を作って配るだけでも商売になる、という返事であった。一つのアイディア、着眼であるなと感心したが、それもこれも、それだけの日本人がいて、晝に和食の弁当を食べたがっているせいだとしてみれば、もとは、やはり数なのだなァと思った。
 いい例か、どうかはわからないが、確かに数が物を言うとは言えよう。
 なに、私は、全国でも過疎県と言われる鳥取県を選挙区として来たのだから、当然、過疎対策には力を入れていた。過疎化が進行している町村こそ、又自民党の支持基盤となっており、その地域の人口の減少は自分の票の減少に繋がるわけであるから、何とか必死で人口の流出を食い止め、できれば増加するように企業の誘致その他あらゆることに力を注いで来たことも事実である。道路の新設、改修、河川の改修、箱物整備、カントリー・エレヴェーターの設置など農業施設の整備、公民館、考古館、図書館などの文化施設の整備その他、地元から要求のあるあらゆることの実現を目指して努力して来た。あらかた三十年の近い年月の間であるから、過疎債の承認なども含めて相当な力を盡して来たことも事実である。
 にも拘わらず、県境の一つの町は三十年の間に住民の数は半分以下に減って、無住の廃屋も百戸できかない、といった状態である。
 文化センターも二十数億円かけて造られたが、定員五百のホールは一体年に何回使用されるであろうか。他の町では立派な図書館が造られたが、さて、住民のどれだけがそれを利用しているだろうか。どうも、ハコはともかくとして新しい図書の補充が町財政の関係もあってまゝならぬと聞いている。
 私は、過疎化の進行を防ごうとした数々の対策が全くムダだと言うつもりはない。確かに効果はあったと思う。
 しかし、問題は、一体、そうした努力が国全体から見てどうような価値が認められるのだろうか、という疑問である。
 こんなことばかり書いていると、では、お前は本当に過疎対策は結局ムダであったと思っているか、と質ねられるだろう。
 そうは思っていない。田園まさに荒れんとす。その田園を守ることの大切さがわかっているからこそ、頑張って来たのであるが、さて、も一度、静かに、大局的な見地から、日本全体の見地から過疎対策という、政策の大きな柱について、その功罪をじっくりと考えてみたいのである。
 読者諸賢如何に思われるか。
 


戻る