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相沢英之 のメッセージ 「地声寸言」 |
2008.09.05 リリース |
第十六回 <ムダボとは(一)> |
最近「ムダボ」という言葉が使われている。「メタボ」にひっかけて、ムダをなくそうという意味で言われているらしい。国、地方の財政の再建のための方策として、当然ムダ(無駄)をなくせという運動が起こってくるのはいわば当り前の話である。
ところが、必ずしも当り前でないのは、この運動は、財政再建の方策の一環としての消費税率の引き上げ要請との関連があるからである。 そもそも「無駄」(徒)とは何ぞや。広辞苑を引いてみる。「役に立たないこと。益のないこと。またそのもの。」「無駄な出費」、「努力が無駄になる」。 今、自民党の党内に、いわゆる「上げ潮派」と称せられる政策のグループがある。グループとまで行かないかも知れないが。この派の人々は、財政再建には消費税を引き上げなければならないとする意見に対して、今、直ちに消費税の引き上げを云々するのは時期尚早であって、その前に先ず、歳出を徹底的に洗い、ムダを排除することが必要であり、いわゆる埋蔵金も堀り盡して歳出の財源に充てるべきであるという意見のようである。 概念的に言えば、歳出のムダを洗い出して無くす努力をすることに反対の人はないであろう。「役に立たないもの」、「益のないもの」に大切な税収を充てる必要がないことは、言うまでもないからである。 さて、そこで問題は、具体的に何の経費がムダかということである。経費の裏には事務事業がある。そこで、どんな事務事業がムダであるかをかんてい判定しなければならない。それでは、一体それを誰が、どういう観点から判定するかと言うことである。一つ一つのケースに当って精査すればするほど、判定が難しくなってくる。当り前である。およそ、どんな経費でも、少なくとも計上された時点では、ムダなどころではない、必要なものだと判定されたからである。 そして、形式的に言えば、各省大臣が財務大臣に要求し、査定を受け、協議し、閣議で決定し、予算書として国会に提出し、予算委員会で審議し、国会として可決した予算の歳出に含まれているものであるから、国権の代表である国会が必要な経費であると判定したものと言えよう。 もちろん、細かい予算の中味について一々審議など出来るものではないと、いう反論もあろう。その通りである。が、だからといって、国会が責任がないと言うわけには参らぬではないか。 ま、一応その議論は措いて、具体的にいくつかの経費についてムダであるか、ないかの検討をしてみよう。 少し昔話をする。例の本州四国架橋の件である。当初は、六、七本のルートが提案されていたが、その中で有力なものとして三本が残され、さて、どれにするかという党を捲き込んでの大議論となった。どのルートにも本州、四国のそれぞれに有力な、うるさい代議士連がついていたから、政治力をかけての競争となったのである。名誉にかけて負けてはいられぬ、という沸騰ぶりであった。 当時は、本四間に三本も橋を架けるバカはない。どれか一本に絞るべきであるという議論が事務的には有力であったが、とてもそんなことでは収まりそうもない。そこで、アメリカで使われていたPPBSの手法を導入し、費用対効果の観点から三ルートについては仔細に検討し、結論を出したが、とてもそれでは纒まらないという情勢となった。結局、三ルートとも着工するが、順序は実行上、PPBSの手法による結論を尊重するということで、一件落着した。ご承知のように三本の架橋は順次完成に、今日に到っている。 さて、そこで、皆さん。この三本の橋はムダであるか、ないか、どう思われるか、である。三本も架けることはなかった、という意見がある一方、やはり三本とも必要だったという人も多い。それどころか、これからさらに四国と紀伊半島及び四国と九州とを結ぶ橋を架けよ、という要求もあるではないか。 財政、公共事業の現状から見て、流石にもう二橋架けよという要求は姿を薄くして来ているように思うが、三本の橋の一部を外せという意見は無論ない。ただ、赤字をどう処理するか、という話があるし、も一つ忘れてならないのは、瀬戸大橋は新幹線と併用することにしているが、さて、中、四国を結ぶ新幹線はいつ着工できるのだろうか、それができないので、今は新幹線の橋の部分はJRの普通線用として使われていることである。 次に、も一つ。東京大阪間の新幹線を計画した際に新横浜と岐阜羽島の駅が問題となった。ルートから見ると、いずれも蛙が鳴いているような田圃の中に駅を作ることになる。結局、両駅ともできることになったのであるが、確かに初めの頃は、何でこんなところに駅を作らなければならなかったのか、と一様に人が思うような状態であった。 ところが皆さん、今では、いづれの駅の周辺にもビルが立ち並び、それこそ駅を中心とした街が出来上がっているのでないか。あの駅はムダであったとは言えない状態である。 以上二つの例は、ムダを無くすことはやろうとしてもダメだという例に挙げているのではなく、大きな事業がムダであるか、ないかについては、いろいろ広範囲の角度から慎重に検討して貰いたいという意味である。 大きな検討課題はいくつもある。例えば、国と地方団体との行財政の関係である、これについては、引き続いて、いくつかの問題点を挙げて見たいと思っている。一般の町の人々が行政にムダがあると思っている対象は、一つは市町村役場なのではないか。どうも高い月給を貰って、余り働いていない。もっと人を減らしてもいいのではないか。それに幾つものハコものもムダではないか。などなどである。もっともハコものは住民が作れと言ったものも多いから、天に唾するようなものかも知れない。 いずれにしても、横目で見た意見になるかと思うが、以下、いくつか検討してみたい。 読者諸賢は如何に思われるか。 |