back 理事長 相沢英之 のメッセージ
       「地声寸言」
  2008.08.22 リリース

第十五回 <地方自治の限界か>
 大分県で教員の採用などに絡んでの贈収賄の横行が露見し、刑事事件に発展している。毎日の新聞を読むにつけ、以前から、それもかなりの規模で行われていることを知り、改めて事態の深刻さを痛感している。
 こういうことは大分県だけだろうか、と他県の友人に聞いてみたら、「どこでもだよ、ただ、大分はちょっとひどいかな」という返事であった。
 少子化の進行や、小中学校の統廃合などの影響もあり、教員の新規採用数が減少しているが、他面、各大学の教員養成課程その他から毎年送り出される教員有資格者の数はその割には減少していない。需給のアンバランスは大きくなっている。
 文科省は、小中学校の学級編成基準を変更し、一学級当りの定員を減らすことを考えているが、狙いの一つには、教員養成学部の毎年の卒業生の就職を確保することがあるのではないか、と思われている。学級編成基準を変えれば、教員数は増える、それはさなきだに苦しくなっている地方自治体の財政を圧迫するばかりでなく、教職員費の国庫負担額の増加にも繋がって、国の財政としても容易に認められない。文科省は、教員の受持ち児童生徒数を減らすことによって、各人の実態に即したより充実した教育を実践しうるという大義名分を掲げることは出来るだろうが、果たして、現実はそうなるのだろうか。
 私は、一学級当りの児童生徒数を余り減らすことには反対である。学級も一種の社会である限り、その社会で揉まれて育つことも大事なことだと思っている。とくに、独りっ児など、家庭で我儘に育って来た子供が初めて際会する社会が学級であるからである。
 それはとも角として、実際問題として、教員養成学部などを出て、小中学校の教員免許をもっていても、なかなか教員にはなれない。待たされてやっとなったとしても講師、それを何年もやって、正教員として採用される順番を待つという話は、あちこちで聞いていた。
 校長や教頭などにはなりたくない人もいるという話も聞いているが、矢張りなりたい人も少なくないであろう。
 ということになると、そこで、どうしても手蔓を求めての運動が始まる。あちこち見回してみて、どうもじっとしていては、なかなか順番も回って来ない、うまくやっている人もいるな、ということがわかってくれば、じっと何もしないでいるにはバカらしい、ということになってくるのではないか。
 これは、教員の採用に限らない現象である。
 県によって異なるかと思うが、市町村の職員の採用について、共通の公務員試験を実施しているところが多い。が、各市町村が合格者の中から誰を採用するかは自由であって、試験の成績の順番ではない。そこに情実が働く余地がある。
 これは、市町村の職員だけではない。府県の職員についても、似たようなものである。もっとも、国家公務員にしても、試験の不合格者は論外として、合格者の中から誰を採用するかは、各省庁に委されている。
 私は、それが問題だと言っているわけではない。当り前のことだからである。
 問題は、大分県の場合のように、実施した試験の採点に当って、頼まれた受験者の点を上乗せし、頼まれなかった受験者の点を減点するなどいう、あるまじき不正を平気で(ではないかもしれないが)行なうところまで、いわば不正していることである。
 ところで、そういう働きかけを誰がするかである。大分県の場合も県議その他の議員の名などが挙がっている。県会で、そのことではなく、他のことでいじめられたくないなどの思惑も絡んで、頼まれれば、発表前に合否を知らせてやる、も少し踏み込んで、どちらかという場合に採ってやる、さらに進んで、点の加減までしてやる、といった工合になるのではないか。
 国家公務員の場合も、そういう働きかけが敢えて皆無とは言わないが、少なくとも、試験の点数をいじるなどいうことは考えられもしない。地方団体も小さくなればなる程、住民と自治体の首長や幹部との結びつきは密接である。絶えず次の選挙のことを考えて人事を動かす首長はざらにいるし、又、職員の採用もその配慮が働く場合の多いことも否定できないだろう。
 その凡てが悪いということになったら、アメリカなどのポリティカル・アポインティーの制度などは、一体何だということになりかねないが、少なくとも、地方自治体の職員任免、異動などが、そういう政治的な、人縁、地縁的な配慮のみから動かされるとなると、これは自治体行政の運営にも大きな問題となりうるのではないだろうか。
 一回限りの試験が受験者の凡ての能力を評価することにはならないし、試験の点数だけで職員の採否を決めなければならないとは思わないが、全く裏でごそごそと不明朗な過程のうちに職員の採否や異動を決定して、行政の明朗さに住民が不信の念を向けるような事態にならないようにすべきであろう。
 地方のことは地方で決定する。地方自治の大原則と今回の事件のようなことは関係がないかも知れないが、地方の住民と行政機関との結びつきが深いほど起りうる問題ではないか、と思うと、地方自治の限界を考えることも必要か、と思う。一寸、結論がハネ上っていると思うが、できるだけ地方に財源を行き、地方自治の範囲を拡げることが絶対良いのだという考え方に対して、いささか疑問を呈している一人として、今回の問題を採り上げてみた。関係がないと、思われる方にも敢えて反論しないが、戦前は特に司法、警察、税務関係の職員については、出身地には赴任させないとした原則があったが、それも過度の結びつきが生み易い弊害を憂慮した処置ではなかったか、と思う。読者諸賢如何に思われるか。
 


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