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相沢英之 のメッセージ 「地声寸言」 |
2008.08.06 リリース |
第十三回 <野球会は今やなし> |
昔の大蔵省に野球会という名の会があったことは、今の財務省の人達も殆んど知らないだろうと思う。今で言えばキャリアーの会であり、調べて見たいが戦前からあったのではないかと思う。とにかく、私がソ連に三年の抑留の生活から開放されて帰国した昭和二十三年頃は存在したと思う。
ノーパンシャブシャブとか一部の連中の一連の不祥事件で大蔵省、だけではない中央各省のキャリアーの評判は台無しになってしまったが、以前にもこのコラムの中に記したように、私は、キャリアーの存在自体は決して悪いことではなく、むしろ大事にしなければならないと思っている。ただ、今までのようなキャリアーの採用その他の取扱いが妥当なものであるか否かについては、充分検証を必要とすると思っている。 一口にして言えば、公務員試験や大学での成績でキャリアーとして一群の人達を採用し、それを幹部職員として育てることは必要だし、大事なことだと思うが、入省後の取扱いは、その人の能力、識見、勤務成績などによって昇進に差をつけるべきであると同時に、いわゆるノン・キャリアーとして入省した一般の職員の中からも優秀な人はどんどん登用して、キャリアーに加えて行くべきだと思っている。 これは、私の持論であったので、昭和四十八年七月、私が事務次官になった時に、翌年度の採用試験ではキャリアーとして百人採用したらどうか、と提案した。ところが、この案には省内、とくに官房から強い反対が出され、結局、次第に妥協を迫られ、五十人、四十人と減って来て、結局二十七人を採用することで落着した。私は、大へんに不満であったが、矛を収めざるをえなかった。それでも、例年の二十人程度よりは若干多かったのである。 その時、官房の強い反対理由は、そんなに沢山キャリアーを増やしては、退職の時、天下りのポストを確保し難くなるということであった。これから三十年も働いて貰おうというときに、その先の先の就職のことで反対されるとは思わなかったので、正直言ってがっかりした。民間の大卒採用状況と比較して見よと言い続けていた。 もっとも、民間の銀行や会社でも、例え年に何百人ととっていても、間もなくキャリアーとその他との区別は生じてくるものらしく、キャリアーとされたものは、内外の主要ポストを歩かせて、次第に幹部として養成して行く例が多いと聞いている。 それはともかくとして、戦前は、キャリアーなどという言葉は使われていなかったと思う。高等文官試験の行政科をパスして入省した人は、大蔵省では、(多分、他の省も同じではなかったかと思う)判任学士と呼ばれていた。身分は判任官であったが、実際は省内で高等官なみの取扱いをされることになっていた。例えば、食堂は高等官食堂、便所は高等官便所を使用できる、などであった。いわば、入省の時から幹部職員として育成するという体制を明らかにしていたのである。 戦後は、無論、そんな食堂や便所もなくなったが、キャリアーの制度は続けられていた。 ところで、野球会というのは、そういうキャリアーが年に一回一堂に会して親睦を深める場であって、ただ野球をすることが目的ではなかった。野球会という名のもとに集まり、事実野球も楽しんだが、メインの行事はその後の懇親会であった。 しかし、昭和三十年の前後は、野球の試合そのものもかなり真剣であって、まず、その組合せをどうするかを各局代表者の間で激しく折衝をしたものである。省内に官房、主計、主税、理財、銀行、為替、国有財産、その他があったが、それを四チームに分けるべく組合せるのである。甲子園組などは滅多にいなかったが、それでも在学中レギュラーの野球部員だった人などかなり強い人もいたので、組合せを決める際、そういう人材の存在を頭において、かなり真剣なやりとりが行われ、何時間も議論することがあった。 野球会の当日こうして作られた四チームの間で準決勝、決勝、三位決定の四試合が実施され、さらに先輩と一年生との試合も行われた。 グラウンドは、興銀の浜田山グラウンドや東銀の二子玉川のグラウンドなどが使われた。 野球好きな先輩として松隈秀雄氏や大平正芳氏などが常連として参加していたし、杉先輩がお嬢さんの女優杉葉子さんを連れて現れたりして、試合後の親睦の会はなかなかにぎやかな楽しいものであった。 雨の中で泥んこになっても試合を続行したこともある。球が濡れて投げられず、一球一球タオルで拭いて投げたことも思い出す。 私は、長いこと主計局のチームで出場していたが、このチームはいつも強く、初めの頃は鳩山、吉村と私の三人の主計官がかわるがわるピッチャーを務めていたし、主計では村上次長、主税では塩崎課長などはうるさい存在であった。 優勝となると大きな優勝カップになみなみと酒を注ぎ、それを次から次へと回し飲みをするのを取り囲んで、一飲みごとに手を打ってはやしたりした。 野球会を通じて、良きにつけ、悪しきにつけ、キャリアーとしての一体感が促進されたように思う。キャリアーの意識は、官僚としての品格の維持、国家観、使命感の昂揚に連なった面も少なくないと、私は思っている。それが喪われつつあるのではないか、と思うと、いささか焦騒を感じるが、私は、今なお、キャリアーの多くは使命感をもって国のために働くという意識を持っているであろうと確信している。 読者諸賢如何に思われるか。 |