back 理事長 相沢英之 のメッセージ
       「地声寸言」
  2008.04.24 リリース

第四回 <家はどこに>
 昔から言われる。日本の国民は衣食は足りても、住の点では欧米に劣ると。確かにそうかな、と思うことが多い。衣は欧米にない和服がある。食は、和洋中とまことに多彩。インド、タイ、ヴェトナムなど何でもありという感じ。世界中から食材を集めているし、又、それぞれにうまい。和食も海外進出を果して、なかなかのブームとなっている。ダイエット食ともみられ、ますます歓迎されている。
 ところが、住に到っては、やはりまだまだ不充分で、全般として満足という状態ではない。一つには、狭い国土に人口がひしめいていることもあって、とくに大都市の地価はあきれる程高い。それに何といっても木造の家は石やコンクリート製の家と違って寿命が短かいので、どうしても償却を考えると高くつく。
 片道一時間半、往復三時間を越えるような通勤は、何と言ったって重い負担で、食住近接を望みたくなる。
 もっとも年齢によっても希望に差が出てくるものであって、若いうちは狭くてもできるだけ職場に近いところが望ましいし、年を加え、ましては、現役を退いてOB生活にでも入れば、郊外戸建の家に住み、狭い庭ながら野菜を作ったり、花を植えたりするような、いわば悠々自適の生活を送りたくなる。終(つい)の住処(すみか)という言葉もある。
 人間は贅沢なもので、こういう田園牧歌調の生活環境も長くいれば飽きて、時々は刺激が欲しくなるし、都会の喧騒に日夜取り捲かれていると、静かな、小鳥の声の聞かれるような土地に行ってみたくなる。
 私は、三十年近く、東京の自宅と鳥取県米子市の自宅の間を往復していた。週末に羽田から飛行機に乗って米子へ着くと、ホッとする。おいしい空気を吸う。緑はどこに行っても溢れている。月曜日に逆に米子から上京し、そこで、又、ホッとする。自分はやはり都会育ちの都会っ児かなと思ったりする。こういう生活の変化は悪いものではなかったし、鳥取での生活を通じて、それまでとは違う人の活動の意義を覚えるようになった。
 例えば、道路問題などもその一例である。東京には山手線を初めJRに私鉄の電車、地下鉄、バス、タクシーなどが発達しているから、朝夕の混雑の苦痛はあるにしても、鳥取での車がなければ何ともならない日々の生活の実感はなかなか湧いてこない。ここは一つ地方の実情を良く理解し、全国的な道路網、とくに大規模な高速道路網の建設を推進しなければならない。
 モスコウの住民は金曜日になると長い車列を作って郊外へと向う。いわゆるダーチャに行く。別荘と訳していいのだろうが、なに、実物はそう大したものではなく、ほんの山小屋程度のものが多い。回りに畑を作り、鶏なども飼い、月曜日の朝には、その収穫物を車の屋根に山と積んでモスコウに帰還する。他の都市でも似たようなものであろうと思うが、ロシア人の生活の智恵かもしれない。健康にもいいし、食べ物を作るという実益もある。
 これは日本でも真似をしたらいいと思う。地価は高いと言っても、一寸離れれば安いところがいくらでもある。問題は道路であって、そうでなくても、混雑する日曜の夕方の道路がますます混むようでは大へんである。これを解決するのは、やはり道路とくに高速道の整備である。
 私は、父の勤務の関係で宇佐(大分県)に生れてから、高田(新潟県)、桐生(群馬県)、大洲(愛媛県)と転々とし、故郷の横浜へ戻ってから三回、六年の兵役を経て、大蔵省に復帰してから十二回転宅し、議員になってから米子と東京を往ったり来たり。
 引越しは、年を重ねるごとに大事(おおごと)となってきたし、荷物は増えるばかりである。引越の要領はだんだんわかって来たが、一番本人が手抜きの出来る方法は現在の家の部屋ごとに荷物を新しい家の部屋に移す。この際整理しようなどと思わず、一切合財、片端から段ボールに入れて貰って、それをそっくりそのまゝ決めた部屋に積み上げる。そして、時間を見ては、荷を解いて行く。本を要る、要らないで区分けをしようなどと思って、とりかかったこともあるが、途中で腰を下して本を読んだり、どっちに区分しようかなどと、迷ったりしているうちに日が暮れる、という始末となる。
 いずれにしても、若いうちは、自分の家を無理して持とうと思わず、家族の数や地位に応じて借家を渡り、ある程度仕事にメドをつけたら、持家にとりかかる、そして出来ればダーチャみたいなもの(住み心地のいい)を持つように努力したらいいのではないか。
 近頃、百年住宅、二百年住宅というような構想がある。永持ちする家を建てることは結構なことではあるが、これにはメインテナンスを良くすることが不可欠である。この案に不賛成の人の批判も読んだが、同一人又は同一家族が一つ家に百年、二百年住むような錯覚を起しているようである。それに住む人はいくら代が替っても差支えない、という考え方であるから、批判は当らないと思っている。
 いずれにしても、住の問題は、あらゆる角度からさらに真剣に検討すべきものと思うが、読者諸賢如何に思われるか。
 


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