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相沢英之 のメッセージ 「地声寸言」 |
2008.04.03 リリース |
第ニ回 <一言> |
二十一年続いた大蔵週報を休刊とするのは、理事長の私としても大へん残念であるが、財政再建のため、赤字の週報を暫らく休刊とするのも止むを得ないと思い、同意した。
これからは、「地声寸言」は日本システム開発研究所と私のホームページに掲載することにしたので、引続き御愛読(?)をいただきたいと思っている。 私としては、この機に、従来、主として経済、財政、金融中心の記事をと心がけていたのを一寸改めて、少しテーマを広くして思うことを書き綴ることにしたので、御理解をいただきたい。それに、今まで、一回当り大体二千四、五百字としていたものを、二千字以内に縮めようと思っている。 私は、大正八年七月四日の誕生日であるが、この日はアメリカ合衆国の独立記念日に当っていて、しかも楽しいことに私の生れた場所は、父親の勤務のために宇佐(USA)であった。それから八十八年、去年で米寿を迎えたが、大まかに言って、私の今までの人生は、大きく三つに分けることができる。生れてから大学卒業時までが約二十三年。大蔵省に入省と同時に陸軍に召集、ソ連抑留三年を含めて六年間の軍務。この間休職であったが、この間を含めて大蔵省に在籍すること約三十二年。そこから衆議院議員に立候補すべく鳥取県に事務所を構え、運動を始め、昭和五十一年十二月に初当選してから九期二十七年の議員生活。それから平成十七年弁護士登録をして約三年間で今日に到る。 行政、立法、司法の三分野にわたって仕事をするという経験を持つことができたことは嬉しいことであって、この先、何年弁護士の仕事を続けることができるかわからないが、とに角、長い間の智識と経験を生かして、少しでも世の中に奉仕をして行きたいというのが今の私の願いである。 私の学校友達も軍隊友達も、又、社会に入ってからの友人達も同じぐらいの年令の人達の多くは亡くなっている。新聞の訃報欄を先ず見る癖がついているが、半分以上、私よりも若い人である。それにしても、長いこと仕事をしていた人が仕事を止めると急に衰えて亡くなる例を見ているので、私も、できるだけ規則正しく無理をしないで仕事を続けて行きたいと考えている。 なお、私のホームページに、できるだけ毎日ブログに載せたいと思っている。それこそ寸言にしたいが、それも見ていただけたらと思っている。 そこで、今日は、地声寸言も再出発のご挨拶だけにとどめておくこととする。次回からを期待されたい。 |