back 代表理事 相澤英之 のメッセージ
       「地声寸言」
  2016.09.23リリース

第二百四十九回 <北方四島>
 安倍首相がいわば身体を張って、ロシアとの領土問題の解決のために努力をすると明言もし、又、本当に真剣な努力をしていることは大いに評価しなければならないと思う。
 私は、昭和二十七年八月十五日の終戦時、北朝鮮、咸鏡南道の道庁所在地咸興の第三十四軍司令部経理部で被服、物品などの担当をしていた。同年八月終戦後、十月興南の港からロシア(当時ソヴィエト)に運ばれ、十一月一杯クラスキーノで天暮生活、その後約一ヶ月のシベリア鉄道の長旅を経て、モスクワから約一千キロ、ボルガ河の支流カマ河の畔の小都市カザンの収容所に送られ、二年余り苛酷な抑留生活を強いられた人間の一人として、対ロシアの問題には当然深い関心を持っている。
 二十三年の八月十四日、正に三年ぶりに舞鶴に上陸をし、復員後、大蔵省(現財務省)に復職したが、六〇年代に設立された全国戦後強制抑留者協会の会長になって以来、モスコウにも毎年行き、ロシア側との折衝に当たっていたので、日ソ間の交渉には当然深い関心を持っている。
 平成三年、ゴルバチョフ大統領来日の際に日ソ間に締結された諸事項(死亡者を含み抑留者の氏名の通知、埋葬地の維持管理、遺留品の返還の三項目が中心)の履行を外務省、軍事省、内務省、軍事メモリアル、公文書館などの関係各省庁に直接要求を繰り返しているのだが、成果が上らない。なにせ抑留地が一千ヶ所以上に及んでいるし、ソ連が分解して十五ヶ国となったこともあって、抑留死亡者についても約六万人(抑留者約六〇万人)うち名簿を提示されたのは、今までに約四万人、遺骨の収収約二万人であるが、遺骨について氏名の判明しているのは、DNA鑑定をしているが約千人にも満たない現状である。
 然し、いつまでもそのまゝにして、おくわけにもならないと思うので、このへんで今次大戦々病死者の、いわば無名戦士の墓を作って合同葬をしたらどうか、と思って提案している。
 その前に、いくつか長い間の疑問に政府が答えて貰いたいと思う。以下、列記する。
 
一.  戦争は二十年八月十五日に終結したのに、降状した日本人の将兵をあの酷寒のシベリアで労働に服すことに同意したのは何故か。必ず何等かの協定があるに違いないと思っているが、一体誰が署名したのか。いない筈はないと思っている。
  
二.  強制労働に服されることを認めたのに、相互にとは言うものの、実質一方的に、六十万人の日本軍将兵の労働に対する賃金の支払いを放棄したのか(日ソ共同宣言第六項)
三.  共同宣言でハボマイ、シコタンの二島についてのみ平和条約締結の際、日本側に引き渡すと書いて、クナシリ、エトロフについては全く触れなかったのはどういう理由か。
四.  一八七五年の日本とロシアとの千島、樺太の交換条約は有効なのではないか。この条約について破棄の条約などがあるのか。
五.  日ソ協定の不履行の責任をなぜ追求しないのか。例えば、将校帯刀で入国したが、その刀も一本も返還されていない。協定違反についての責任を何故追求しないのか。など。

 モスコウへ行く度にロシア(かつてソ連)の協定違反を言い立てていたが、外務省はこの問題についてロシア側に責任を追求したことがあるのか。
 私が今までロシアで会った政府の高官(局長クラス)は誰一人として四島返還など出来ない、もし、そんなことをすればプーチン政権も持たない、などと言っていたことが本当だとすると、東ロシアの開発などに協力しても、結局日本の資本と知識をとられる結末となるに過ぎないか、という懸念がある。
 ロシア人は人がいい、などを言っても、それは個人の問題で、国と言うことになれば、そう簡軍に妥協するような体制ではない。
 かつて、東部シベリアに樺太から石油パイプを通し、石油を日本に入れる、という計画が財界を中心として、かなり進んでいたと思うが、それがダメになったのも、一旦緩急あれば何をするかわからない、ソ連に対する不信感が一つの原因ではなかったか、と記憶している。そんなことはありえない、と誰が責任をもって発言しうるのか。
 これから先は、駄足かもしれないが、ロシアがアリューシャン方面に特に気を使っているのは、対米国との関係だと思っている。北方四島を含む千島列島が日本の実質支配下にあるのとないのでは、日米の関係を考量すれば、大違いではないか。国防上の理由が背後にあることは明白である。
 
 


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