back 代表理事 相澤英之 のメッセージ
       「地声寸言」
  2016.06.06リリース

第二百四十一回 <国立西洋美術館について>
 国立西洋美術館を含むコルビジエの建設作品(七ヶ国十七資産)が世界文化遺産に登録されることが確実となったようである。国連科学文化機関(ユネスコ)の諮問機関の勧告によるとのことである。
 そのこと自体は大へん結構なことであって私もお祝いの言葉を捧げるものの一人であるが、国立西洋美術館が出来るまでの経緯について、当時大蔵省主計局にあって文部省(当時)担当の主査として、予算に関与していたものとして思い出を含めてちょっと記しておきたいことがあるのでペンを走らせることにした。
 松方コレクションが吉田首相の交渉で返還に至ったが、このコレクションの収蔵、展示のために美術館を建設することになった。
 私は、予算を担当するものとして、先ず新しい美術館を作るよりも、上野の博物館に収蔵するのが妥当ではないか、と主張したが、当時これに関与していた小坂善太郎、福永健司の両代議士から呼び出されて、独立の美術館を作ることが松方コレクションの返還の条件であると言い渡された。
 それでは、設計のためにコンペを開くべきではないか、日本にも優秀な建築家がいて、手ぐすね引いて俟っている、と言ったら、それもならぬ、コルビジエに設計させることにな0っていると大磯(吉田首相)から言われている、とのことであった。設計料は一〇〇〇万円であると附言された。
 致し方なく、正直いって何だかスッキリしなかったが、その通り予算に計上した。
 さて、その後、コンビジエから送られて来た設計図をわからないながら丹念に眺めると便所が入っていないことがわかった。それと指摘をすると文部省の担当官は「アラッ」と言ったまゝ一瞬絶句をして、早速先方に伝えましょうということであった。勿論、その後修正された設計図が送られて来たことは言うまでもない。
 これから先は余計なことであるが、どうもフランスでは便所が軽視されているらしく、後年私がルーブル博物館を訪ねた時も便所の在り方をめぐって苦労したこともあるし、第一、以前フランスでは毎朝汚物を窓から捨て、それを掃除夫が片づけけることになっていた、という記事を読んだこともあるので、どうもフランスでは便所は日本より虐待されているのかな、と思ったことがある。そんなことは皆私の記憶違いなのであろうか、と今でも思っている。
 そう言えば、赤坂の迎賓館内の便所も地下の不便なところに作られているし、戦後、あの建物が暫く法制局の庁舎として利用されている時も、不便だからというので、便所を建物の外に假設で建てていたことを想い出す。
 往事茫々である。
 
 


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