back 代表理事 相澤英之 のメッセージ
       「地声寸言」
  2016.03.10リリース

第二百三十一回 <世界らん展>
 東京ドームの「世界らん展」に今年もカメラをぶら下げて出かけた。二月十二日が開会式・内覧会であった。
 私の三男のつれあいの相田翔子が初めて司会を担当するというので、それも見たかったが、遅れて間に合わなかった。今年も高円宮妃殿下にお目にかかり、いろいろお話をする機会があって幸せであった。妃殿下には何年か前、故殿下のエジプト御訪問を記念してナイル河に面し、アスワンに日本エジプト協会が建てた記念碑の除幕式に御臨席される際、日本エジプト友好議連の会長として、数日間お伴をさせて戴いた。妃殿下は鳥の写真もよくされ数年前展覧会も開かれたが、なかなか見事な作品も多かった、ことを覚えている。
 妃殿下は世界らん展の名誉会長として毎年御臨席を賜わっている。
 後楽園に来ると割と熱心にジャイアンツの応援に通った頃の名選手の数々の華麗なプレイを思い出さずにいられない。昭和十一年に日本にプロ野球のチームが初めて誕生したと記憶しているが、それ以来のジャイアンツファンである。ファンの一人として応援しているチームの勝利を願っているが、負けても他に心を移すことはない。負けたら、次は勝つことを祈るだけである。
 昭和九年オドール監督に率いられた米国のプロ野球の選手の一行を迎えて、日米野球の試合が始めて日本で開かれることになった。当時中学三年生の私は、朝の九時から横浜球場(現在の位置)駆けつけて、午後の開会を待っていた。大へんな人気で、よく我慢をして開会を待っていたと思う。
 ベーブルース、ゲーリック、ゲリンジャーなどの名選手のシャドウゲームも見た。ベーブルースがホームランを三本打ったのを始めとし、米軍が十一本、日本軍が三本のホームランだったと記憶している。球場狭しと白球がグランドの空を飛んでいたのを今もよく思い出すことができる。
 ただ、余りに詰め過ぎたスタンドの席は一度堪えていたトイレをやっとの思いで果して戻ると、元の席は立見の人々で埋まって了うのは、若かったから我慢が出来たのかも知れない。
 野球で滑ってしまった話を元に戻すとしよう。
 世界らん展は毎年欠かさず内覧会に通って写真をとりまくった。デジカメの今と違い、ショルダーバッグには三六枚どりのフィルムをぎっしり詰め込んで、三時間ぐらい撮りまくった。三〇本ではきかなかった。それをDP屋に預けるまではいいが、次は七、八百枚の写真からカレンダー用に十三枚を選び出す作業が俟っている。カレンダーは最初は五千部も作って後援会の皆さんに贈って、それなりに喜ばれた、と思っている。二十五年は続いたのではないか、と思う。
 カレンダーなど沢山貰う年とそうでない年とがあるが、おおむね景気に応じている。そして問題は絵柄であって、人物、例えば映画のスターのものなど、悪くはないが、毎日眺めていると飽きがくる。その辺いいのが景色と花である。であるからだろうか、素人の私の作る花のカレンダーも案外俟ってくれている人がいて、年の暮になると、今年は未だですかなど、半分は御世辞と思いながら催促してくれる人がいるのは嬉しいものである。
 世界らん展は、その点、本当に素晴らしいらんが並んでいて眼うつりがする。しかし、時間が限られているので、よく考える暇がないので、片端から写して、後で一枚一枚よく検討し、その中からだんだん選ぶことにしている。
 らんも毎年同じように見えるが、育てる人の苦労が少しはわかる気がするのは、毎年変わった種類のらんが出ていることである。時間をかけて見たいものに「えびねらん」がある。精巧な、らんの模型のような感じがするものもあるが、うっかりすると目立たないので見落として了まうこともある。
 業者は会場の初日に向けて準備をするのだろうと思う。そこに花の状態が一番良いようにもって行くのだろう、というのは、開会日と一週間後の終わりに二回行ったこともあるが、明らかにその期間内に花の勢いが哀えてくるのがわかる。カメラのレンズを通すと余計はっきりする。そうならないように、会場を管理する側も出品者も気をつけてはいるのだろうが、そこはやはり生き物であるせいか、明らかに変化が見える。
 会場で困るのは、他人のことを気にせずに動き回る人で、カメラを抱えている人が多い。ことにお年の人である。
 らんの展示会は他にもあって、気がつけば行くことにしていたが、やはり、世界らん展が質量ともに一番である。
 バラ展などへも行ったことがあるが、どうも、バラはイギリスにかなわないようだ。
 世界らん展も昔と較べて花自体の出展の数が少なくなっているような気がする。代ってアレンジメントの美しいのが増えた、又、ガーデン風にマスでらんの花を集めた趣向のものが多くなったような気がする。それにグッズの販売のスペースも増えたような気がする。皆さんの意見を反映してのことだろうと思うが、余りこれ以上そっちの方に流れないようにして欲しいと思うのは私ばかりであろうか。
 ともかく、いろいろ美しいものはあるが、花の美しさは荒っぽい言い方だが、一番ではないか。
 
 


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