back 代表理事 相澤英之 のメッセージ
       「地声寸言」
  2015.11.05リリース

第二百二十二回 <合区>
 一票の格差が余りにも拡大しているのは少なくとも国民の権利は法のもとに平等であるべき憲法の理念に反していると、衆・参両議院について各選挙区の定数改訂が問題として採り上げられ、裁判所(最高裁判所も含む)もこれに関して違憲の懼れがある(表現は異なっていたことがあると思う)という判決を下している。現行法によって行われた選挙が無効であるという判決は出されていないと承知して議決を行ったと報じられている。
 もう今日に至るまでにさんざんと議論を尽くしてきたのであるから、今さら私ごときが発言をする意義はないかもしれないが、何か解決する智恵はなかったのかな、と思わないわけにいかない。
 米国と日本とでは今日に至るまでの国の成立の経過も理念も異なるし、同じような、あるいは似たような考え方で大小に拘わらず上院は各州二議席という例があるし、それはそれなりに意義があると思っていたが、この考え方を日本にも導入したらどうか、という議論が真剣に行われた、という覚えがない。極端に言えば新聞にも一行もこのことに触れた記事を見たことがないのである。米国は合衆国であり、この国の都道府県などとはそもそも存立の理念も基盤も違う、比較にならない、と言われれば、引き下がらざるをえない、と思うが、一応にも、二応にも、その種の議論が行われないのか。
 衆議院は参議院ほどの格差がないからとして、目下緊急の問題となっているのは参議院である。合区によってこの窮地をだっしようとする動きで、すでに参議院においては閣僚を含む六人の与党議員の反対を踏み越え(該当者は議決の時本議会は欠席)」原案で議決をした。
 
 私個人に関することは言うまいと思ったが、私は鳥取県人である。島根県と合区になった場合、鳥取県の候補者が当選する可能性は、現在の人口構成に激変でも生じない限り皆無に等しい。似たような山陰の県だ、合区の代表が出ればいいぢゃないか、という考え方がないとは言わない。しかし、島根県の有権者が鳥取県人の候補者に一票を投じることが、ないとまでは言わないが、極めてありえないことではなかろうか。
 現在の都道府県の分け方が何処から見ても無理のない合理的なものだなど主張するつもりはないけれど、何十年となく長い間通用してきたこの区分を何等らか別の基準で分け直すことも意味のないことである。合区にしたって同じ批判ができる。不合理な区分を合わせて合理的な区分となるものだろうか。
 私は、この間から秘かに考えていた案は、比例区の議員の数を減らして、それを地方区に上積みして行く案である。そもそも、衆議院の地方区、比例区の定数をどうするか、大もめにもめていた時の自民党の党首は河野洋平氏であり、総務局長は私であった。地方区三〇〇、比例区二〇〇の案も有力であったが、公明など他党の了解を得難かった。衆議院で可決された案が参議院で否決され、両院協議会に持ち込まれた。そもそも両院協議会とは何とぞ、そのメンバーの構成は、その具体的な選出方法は、など未定の点が多く、私は毎晩重たい解説書を風呂敷で持ち帰って夜なべで勉強もした。
 いっそ流すか、という意見まで出たが、折角ここまでやったのだから、何とか纏めた方がよかろう、というので決まったのが、選挙区二五〇、比例区二五〇案の案である。その後、議員総定数減などの方針の影響を受けて、多少変わったが、基本は変わっていない。
 だいたい参議院でなら比例区の意味も分かるが、衆議院にまで比例区の考え方はおかしいのではないか、という意見もあった。定数が余って、比例区へ便宜名前を連ねておく、というような事例もなきにしもあらずであった。
 そこで、私の案は、比例区二五〇人を二〇〇人に切って、うち五〇人を各区に上積みするという案である。こういうやり方をすると、すぐ反対をする党の名前が浮かんでくるが、地方区で合区をつくったり、減員したりする案より、遥かに合理的だし、反対も少ないだろうし、法案も成立し易いのではないか。
 どこの比例区へどれだけ積み上げるかは、各党間の話し合いに委せたらいいではないか。
 
 


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