back 代表理事 相澤英之 のメッセージ
       「地声寸言」
  2015.06.26リリース

第二百十五回 <警察予備隊>
  安保法案の審議をめぐって国会内は無論のこと各方面で論議が高まっている。それにつけて昭和二十五年(一九五〇年)GHQの勧告で警察予備隊が創設されたことを思い出していた。
 その間の経緯を記しておくのも参考になるかと思って、「国の予算」(「大蔵財務協会」他発行)から転写などしてみた。
 一九五〇年七月八日、マッカーサー元師はその日本政府宛書簡の中において、警察力の強化と海上保安力の増強とを要請し、その具体的な方針とプランを勧告した。
 この勧告は「現在の秩序ある良好な社会状態を持続し、法の違反や平和と公安を乱すことを常習とする不法な少数者によって乗じられる隙を与えないような対策を確保するため、日本の警察組織は民主主義社会において、公安維持に必要とされる限りにおいて警察力を増大強化すべき段階に達したものである」とし、「七万五千名から成る警察予備隊を設置することを日本政府に許可した」ものである。
 なお、同書簡の中において、この措置の予算的裏付としては、二十五年度の一般会計の責務償還費より支出することを指示している。
 政府はこの書簡の受領とともに、直ちに警察予備隊設置のための必要な措置に着手し始め、法務総裁、内閣官房長官を予備隊の組織担当者とし、兩氏は直ちに総司令部との協議に入った。
 この結果先づ明らかにされたことは、     
(イ)  この警察予備隊は従来の国警、自治警とは全く別組織の政府直属の警察隊であること。
(ロ)  警察予備隊本来の使命としては、必要に応じ、随時随所に出動力を必要とすること。
(ハ)  そのため相当規模の機動力を必要とすること。
 などの諸点であった、次いで予備隊の特異性やマッカーサー元師書簡の精神を汲んで、予備隊設置に関する立法措置は法律によらず、ポツダム政令によること、予算措置についても、財政法の特例措置をポツダム政令で講じ、予算の補正は行わないことと決定した。
 やがて七月十八日総司令部から大網が示された結果、組織や編成の細目は日本側が立案することになり、政府は香川県知事増原惠吉、労働次官江口見登留両氏をあげて、これに当たらせることとし、七月末には一応ポツダム政令の政府原案がまとまり、総司令部との折衝に入った。その後、総司令部の意向もあって政府原案は一部改正されたが、一日も早く隊員募集に着手する方針の下に準備をすゝめ、八月十日にはポツダム政令により警察予備隊令を公布施行、十三日から隊員の募集を開始した。十七日には増原氏を本部長官に、江口氏を同次長に任命、九月には一応の編成を終った。
 かくの如くにして極めて短時日の間にこの警察予備隊は誕生したのであるが、従来からも警察予備隊の増強はしばしば政治の焦点となった問題でもあり、また、マッカーサー元師の書簡は朝鮮動乱勃発二週間後に発せられたものである等の点を考えて、以下に警察予備隊出現に至るの内外の客観状勢を説明することにする。
 ここで注目すべき一つの点は、二五年度の二〇〇億円も二六年度の一六〇億円も何と大蔵予算の国債費から移用された額であることである。
 国の一般会計予算は款項目に区分され、財政法によって移流用が規制されている。款間の移用は禁じられているし、項間の移用はあらかじめ予算をもって国会の議決を経た場合に限り、財務大臣の承認を経た場合にできることになっている。項間の移用は昭和二十四年に初めて認められたものである。
 いずれにしても、金額を大蔵省の国債費(項)に計上しておいて、大蔵大臣の承認が条件だが、そこから、警察予備隊の経費に移用するなんて当時、占領下で何も抗弁することの出来ないマッカーサー司令官の命令があったればこそ可能となった処置であることは言うまでもない。
 ともあれ、国債費から誕生した警察予備隊即自衛隊なのである。
 憲法第九条を守ろうとする働きがあり、これを日本の世界遺産の一つとして登録を認めて貰おうとする運動が去年に続いて行われているという報道である。
 然し、いろいろ議論があるのは、とくに制定の経緯等について各種の話があるのは承知しているが、とにかく国民の生命、財産を護る軍隊は絶対必要であるし、今の自衛隊も殆んどの外国も軍隊だと認めている限り、われわれがこれを軍隊と認めるのに何を躊躇する必要があるか、と思うのである。
 制服を着たまゝ電車などに乗るのは恥しいなど隊員に思わせる原因の一つが、未だに自衛隊などという名称にもある。ということではまことに申訳ないことだと思っている。
 それはそれとして、今までの自衛隊の海外派遣の際にもできるだけ生命の危険のないところに限り派遣、又、そのような仕事に従事させると政府側から公に答弁しているのを聞いているとそれなら何で自衛隊を派遣しなければならないのか、など思わざるをえない。
 ただ、このひとこと言ったり、何かしていると、一日緩急ある場合、隊員が危ないからと辞表を出して続々と辞めていったら、一体どうするのか、と改めて尋ねてみたい。みんないなくなって了ったら、一体全体どうするつもりだろうか。
 今だったら、とても国債費からの移用で警察予備隊(という名の軍隊)を作るようなことは、いくら自民党の一強五弱の天下でも出来ないかっただろうと思う離れ業である。
 GHQ時代には、司令部から無理を言われたこともなしとしないが、司令部の人間の職業はまちまちであったが、概ね常識的な人間が多くて、よく話し合えば、最後までムリ押しする人も少なくて、まあ、そう変なことにはなっていなかったのではないか、と思う。
 ただ、少々変な奴等、この辺で儲けてやろうなどと考えて、無理筋を押してくる連中がいなかった訳ではなかったが、まァまァ常識的な線だったのではないか。
 中には特定の米人と結んで、彼等の利益に協力した人もいたことはいたと思う。新華族の落ちぶれたお姫様と米軍の高官とのいろいろな話も本当か嘘かしらないがあちこちに流れていたが、どこにでもあるような話だと思っていた。
 
 


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