back 代表理事 相澤英之 のメッセージ
       「地声寸言」
  2014.02.03リリース

第百六十五回 <外国語>
 一月二十四日の産経新聞に「外国語で自己主張する日本人たれ」という一文が「正論」の欄に載っていた。
 「わが国の教授や外交官は外地で外国語を駆使して大いに弁じていると世間で思っているが、買いかぶりだ。間違えたら沽券にかかわると思い、逆に萎縮する。」
 これは、東大名誉教授で比較文化史家の平川拓弘氏が書かれているが、私もその通りではないか、と思っている。
 氏は、去年の九月七日のIOC総会における五輪東京招致のプレゼンテーションで高円宮妃殿下の御挨拶に始まる一連の外国語挨拶は内外の人の心を打った。「日本人の英仏語が頗る達者だったから、世界が驚いた」という。
 日本に対するまちがったイメージが外国にあるが、「海外に向けても日本の姿をしっかり発信していかなければいけないという思いを新たにしました」と平川氏は結んでいる。
 俗に縦のものを横にするな、という諺がある。正に日本語を外国語に直すのは縦のものを横にするようなものである。日本人は明治維新で画期的に外国文化を取り入れたし、当然外国語も習った。
 しかし、たしかに平川氏の書かれたようなことがある。
 昭和二十九年夏、バンコクで開かれたエカフェの会議に出席した際、大蔵省でも国内派の私は大へんに苦労をさせられたが、問題は言葉であった。会議は英、仏、露の三ヶ国語で進められたから、前の晩は字引を引き引き寝るまで呻した。議題は予算の項目の区分についての専門的問題で内容はたいしたことはないが、表現の問題で、間違って笑われはしないか、と気に病むのであった。大使館からは誰もついて来ないし、抓軍奮闘の形であった。
 ところが、インド、ビルマ、韓国の人達のようしゃべること、しゃべること。発音にすごい訛があって、もし自分ならとても大声を出したくないような英語でも平気でしゃべる。
 しかし、それを又、通訳がうまいことフランス語、ロシア語で言いかえるのである。
 あゝ、国際会議は、恥ずかしげもなく、心臓でしゃべるもんだな、としみじみ思った。あういう会議では、一番先か、最後にしゃべるのがいい、ということもわかった。詰らない、ありふれたことを言っても、一番先に言えば一応意見をだしたことになるし、又、逆に一番最後に発言すれば、締めくくりで結論めいて、それなりの重味に見えるのではないか。
 こんな会議でもそう思ったが、大事な国際会議では、少々間違おうと、なまろうと、大きな声で、外国語で発言する術をもっともっと日本人は習得すべきだと思う。
 水泳を覚える早道は泳ぎ方を練習したら、水に抛り込んで、アップ、アップさせる、少々水を飲ませる、ことだと言うが、本当である。実戦が覚える早道なのである。
 私は、ソ連に二年半抑留されたが、一番困ったのは、調査で監獄に入れられたことで、煙草の火一つ番兵に貰うのにロシア語でしか通じなかった。それで出獄してから、仕事に必要なロシア語を一生懸命勉強をした。
 必要は発明の母と言うが、外国を独りで歩ければ嫌でも言葉を覚える。学校で外国人の教師に会話を教わる。
 とにかく、外国人に対して自分の考えを伝えられるように、政府もそうだが、個人も努力が必要だと思う。
 
 


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