back 代表理事 相澤英之 のメッセージ
       「地声寸言」
  2014.02.03リリース

第百六十四回 <年賀状>
 毎年十二月頃になると年賀状の発送先を整理しようと思う。思っているがなかなか実行できないでいる。
 十一月頃から「喪中に付」という葉書が送られてくる。それが今年はとても多い。百五十枚はたしかあった。故人の奥さんや子供さんからのものが多い。その中で百才を越して亡くなった人も何枚もある。日本は実質世界一の長寿国であり、百才を越す人も今や五万人を超しているという記事もどこかで見たような気がする。
 あの人も、とうとう亡くなったか、と思うと同時に、励みにもなって、自分も百才を越すまで生きれたらと思う。丁度、二〇二〇年のオリンピックが一つの目標になる。
 しかし、無論、今や私より若い人が亡くなって喪中という葉書の方が多い。胸の痛むことである。
 中学校や高等学校の頃の同級生、同期生は何といってもよく覚えている。名前を見れば大てい顔が浮んで来る。戦争中、中国大陸でひょっこり遭った人もいる。天津の吉野街だったか、暑い夏の日、防暑帽から汗をたらしながら、歩いていると向うからどうも知った顔が近づいてくる。よくみたらT君で中学の同級生であった。軍服を着て少尉の襟章、しかも軍医の色である。向うも認めて、アッと合って挨拶をしたが、本当に一本隣りの道を歩いていたら遭わなかったろうし、一分違っていても遭っていなかっろうし、と思った。
 他にもいろいろと思いがけない場所で再会した人もいた。ソ連のラーゲルで一緒だった人もいる。
 人生九十年を生きて本当にいろいろな人に会って来た。その一部の人との年一日の交流が年賀状である。と思えば、形式的な行事だと、軽く片づけるわけには行かない思いである。
 年賀状も以前は多い時は六千枚も出した。選挙区の人には出せないことになっているが、来た年賀状の礼返はいいことになっている。
 来た年賀状をとくと見る暇のなかったこともあったが、今は、ずっと枚数も減ったし、友人の消息もわかるし、短い文字を添えているのもあるし、務めて一枚一枚ながめることにしている。
 あゝ、彼も元気でいるか、と知るだけでも嬉しい。年賀状はそういう効果がある。
 今や、世の中はペーパーレスの時代になっている。いつか、東京ロータリーの例会でスピーチをした日経の社長からこれからの時代の新聞の在り方について、どう考え、どう対処して行ったらいいか、と思っている点について話を聞いた。
 もう年賀状の時代ではないという人もいる。しかし、私は、やはり、この年一回の知巳の消息の交換のチャンスは残しておいて欲しいと思うし、残すべきものと思っている。
 今は、パソコンで打つたと思われる年賀状が多いが、本人が一寸とペンや筆で短い文章が書かれているものがある。
 昔、頂戴した年賀状の整理もしているが、一枚一枚見ていると亡くなった人の年賀状が多い。活字でない本人の書いた字を見つけると、その年賀状も捨て難い気がする。捨てるかどうか迷うのである。
 
 


戻る