back 理事長 相沢英之 のメッセージ
       「地声寸言」
  2012.06.07リリース

第百二十三回 <土地の値段>
 五月三十一日、日経朝刊を見ていたら、「地価の底入れ強まる」として、全国主要一五〇地区のうち、二二地区の地価が三ケ月前に比べて上昇し、横ばい地区は合計で三分の二を越え、地価の下げ止まる地区が増えた、という。
 私も地価の動向には昔から関心をもっている。公共事業のコストのかなりの部分は土地の買収費であり、又、土地収用など制度があって、話合いがつかない場合は強権をもって買収しうることにはなっているものの、実際問題として収用法の発動はなかなか困難で、担当者もこの法律を使うことは、なんだか恥のように思う向きもあって、実際は殆んど適用されていない。
 それどころか、左派の首長には土地収用は絶対にやらないと公言するかつての美濃部都知事のような人もいたので、なかなか工事に着手できない例があった。
 かつて、世の中でもてはやされた列島改造計画で新幹線や高速道路が強力に押し進められていた頃は、地価の高騰を招いたことは確かである。
 土地さえ確保すれば、公共事業の執行は、言ってみればたやすいものであって、金さえつければ、いくらでも工事ははかどった。この点中国のような国が土地を持っている国は羨しいとも言うべきで、わが国などが土地を確保するのにもたもたしているうちに、敵はさっと図面に線さえ引っぱれば、あとは工事だけだ、ということになる。新幹線でも高速道路でも、驚くべきスピードで仕上げてしまうのは、この土地の確保について、スタートから大違いだからである。
 やっと、土地を売る気にさせても、次は値段である。鉄道や道路は切れ目がなく続いている。都市の高い土地から買って行ったのでは、田舎の土地も高くしてしまうから、いっそ青森から東京の方へと土地は買い上ってきたらよいのではないか、とサジェストしたことがある。隣りの土地と値段に差があると所有者はなかなか納得しないからである。
 それにしても、バブルの頃はひどかった。よく例に出される銀座四丁目の角の鳩居堂の土地が一頃四〜五億円と評価されたことがある。全く、バカみたいに高い値段であった。
 バブルがはじけるとまたたく間に地価は下落して、何分の一かに沈んで了った、という。
 かつての私の選挙区の米子で、私は事務所用に一戸建の建物を買った。土地面積三〇坪ぐらいであったが、一坪七〇万円の評価であった。それが、バブルの頃、大阪の不動産屋が札束をもって乗り込んで来て、あちこちの土地を買っていたが、私のところも坪二〇〇万円で売ってくれという話であった。
 事務所用に使っているので、売る訳にはいかなかったが、今は、さて坪二〇万もムリだと言われて、馬鹿らしくて売る気にもなれない。というより買手がつきそうもない。
 一例に過ぎない。私どものように事業をしていないものは、土地の値段が上下したって、ただちにどうということはない。しかし、不動産を担保に入れて銀行から金を借りて仕事をしているところは、地価の値下りはほって置けない、というより、不良債権として監督官庁からやかしく言われるものだから、銀行は直ぐ増し担保をいい、促征人を要求する。それが思うようにならないと、先ず担保の処分を言う。そんな時は高く売れるものか。何でも売ろうとすれば、それが又地価を冷やす原因となる。悪循環である。
 ここへ来て地価が下げどまって来た、という国土省の発表は、まこと結構なことである。まだ、まだ、この程度でいいということにはならないが、世の中の景気は不動産価格の上昇から始まる、と言っては言い過ぎだろうか。
 私の見ているところ、地価、ゴルフ場の会員権の価格、絵や美術品の価格、株価の四つは、同じような波動を繰り返しているように見える。
 株価が上昇すると、世の中が明るくなったような気がする。今は、兜町もしゅんとしているが、世の中にはバイオリズムが働いている。
 ここまで株も下れば、いずれ、上昇の局面に入る、と見るのは、甘いかもしれないが、願望を併せて景気の上昇を祈るのみである。
 
 


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