back 理事長 相沢英之 のメッセージ
       「地声寸言」
  2011.10.31リリース

第百十六回 <デノミをしないのか>
 燃えては消え、消えては燃えるのがデノミ論である。最近では殆んど声を聞かないが、デノミ主唱者の一人であると思っている私は、何か一言言ってみたい最近の円相場である。
 私がデノミを一番熱心に主張していたのは昭和四十六年から七年にかけての大蔵省理財局長の時であった。理財局の一課に国庫課があり、幣制を扱っていた。
 当時、大臣は水田三喜男氏、事務次官は鳩山威一郎であった。私を入れて三人は期せずしてデノミの推進に熱心であった。
 デノミを実施するに適する環境として当時から言われていたのは、物価が安定していること、為替相場が平準的であること、経済成長が順調であること及び政情が安定していることの四条件であった。当時は正にそのような時期であったし、百円を一円にデノミをすれば、一米ドルが邦価約三円になって丁度いいではと思っていた。とにかく対米ドル三桁の通貨は、問題あるような弱小国は別として、イタリアのリラしかないのではないか(それも後にイタリアがEUに加盟するとともになくなったが)、日本の円の威信にかけても三桁の換算率をなくすようデノミを実施すべし、というものであった。
 その頃、新しく最後にデノミを実施した国として参考になるのはフランスで、一九六〇年シャルル・ド・ゴール大統領の時一〇〇フランを一ヌーヴォフランとした。在仏日本大使館に勤務していた津島君に指令を飛ばしフランスのデノミ実施状況について調査を求めたのである。
 当時、デノミを実施した時の問題点をつぶさに列挙し、その対策を含めて、何時デノミを実施しても差支えないように準備をした。その関係書類は国庫課の金庫に納められている、と承知している。
 紙幣の印刷は問題なし、コインの鋳造は時間がかかるので、十年間かけて交換し旧貨を回収する。自動販売機のことも考えて新一円玉は旧百円と大きさ、形状、品質、量目など凡て全く同一とすることなどを決めていた。帳簿やコンピュータのソフト改編などの費用負担についても税法上などで然るべき手当てをすることなどを取り決めていた。
 ところが、その後ニクソン・ショックや為替の自由化などがあって、先に述べた四条件が満たされないような状勢になり、又、そのうち関係者の情熱もいささか覚めるようになった。
 私は大蔵省退官後、衆議院議員となったが、「デノミ促進議員連盟」を作って会長となり、又、自民党の金融制度調査会の中にデノミ小委員会を作って小委員長となるなど、デノミの実施に向けていささか努力を続けてきた積りであるが、未だに実現を見られないのは残念である。
 デノミ議連の長は鳩山威一郎氏の次男邦夫衆議院議員に引き継いだが、自民党は野党となり、デノミを首唱する状勢は益々遠のいて行ったように思う。
 明治の初めは一米ドル一円、昭和になって一米ドル二円、日米開戦の前は百円が二三ドルぐらいであったと記憶している。
 円は最近ドンドン高くなっている。一米ドル五〇円説もあるという。もし、万一そうなった場合、一〇〇円を一円とするデノミを実施したら一ドルは五〇センということになって、どうも米国に失礼ではないか、と言う人がいたが、それもそうかも知れない。
 
 


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