back 理事長 相沢英之 のメッセージ
       「地声寸言」
  2011.02.08リリース

第八十二回 <「ウグイスとカラス」>
 選挙カーを走らせる場合、町の人々に呼びかけるのにマイクを使うが、しゃべる人が要る。選挙期間中は運動員として登録し、法定内の賃金を支払う。女性を使うことが多いが、よくウグイスと呼ばれている。そこで私は、男性の場合はカラスと命名した。対照を狙ったのである。
 選挙民に呼びかける方法としては、戸別訪問、演説会、掲示板、立看板、電話、郵便物などいろいろあるが、選挙の公示後は選挙ハガキ、電話、選挙カー、演説会ぐらいに限られてしまうので、選挙カーからの呼びかけは重要な運動手段となっている。
 選挙カー(以下略して選車という)は選挙期間中借りた車を使うことが普通だが、それとてもどんな車を借りるか、どういう機械を使うのか、外側にどんな文字を書いたり、ポスターを貼ったりするか、いろいろ悩むものである。機械にしてもできるだけきれいな声が遠くに届くようにする必要がある。
 私は、その都度臨時に車を借りるということではなく、常時使えるようにするために選挙カーとして新しくハイエースを買い、できるだけいい装備をすることにした。
 まず、候補者は運転席の左の窓側に坐るが、手を振ったりするために一々窓を開けなければならないので、そこはスイッチひとつで開閉できるように電動式に直し、運転席は3人がけとなっていて窮屈だったので二人がけに改造した。
 アンプもマツシタの一番良いものを買ったが、取り付け位置を綿密に検討した。マイクも無線のものを二本追加した。スピーカーもマツシタで一番大きなものを予備をいれて五個購入し、車の屋根の四隅に取り付けた。スピーカーは車中から向きを操作することができるか検討したが無理だったので、進行方向に対して左右三〇度くらい右、左となるように固定した。左右九〇度くらいにしたほうが進路の左右に遠く届く理屈ではあったが、車が建物に近付いた時、その角度だとモロに声がハネ返って轟音を生じる懼れがあったので避けた。
 広場などでマイクを握る時は、選車の屋根に上がった方がよいので、車の後部に梯子を取り付け上れるようにし、又、危険防止のため、屋根には、その都度引き起こせるような手摺りを取り付けた。
 鳥取の冬は雪が少なくない。タイヤもスパイクタイヤを準備し、勿論チェーンも備えておいたし、スパイクタイヤが禁止となってからは、スタッドレスタイヤを用意しておいた。
 さて、問題は車からの放送の仕方であった。
 先ず誰がマイクを持つかである。人によっても候補者自らが原則としてしゃべるようだが、それでは体力が消耗するし、喉を傷め、演説会に支障となる懼れもあった。そこでいわゆるウグイスを使うことになる。
 いい声でさえずるさまがウグイスのようだ、ということでこう呼ばれるようになったのだろう。だから綺麗な声で呼びかけて欲しいが、遠くへ声を届かすためにはやはり声量が大きい方がよいので、後に記すようにカラスも必要になった。
 ところで、何をしゃべるか。化粧品や薬の広告と同じように、毎日毎日何べんも眼にしていると、自然とそのものが良いものであるような気がしてくる。勿論使って良くなかったものは長続きしないけれど。似たりよったりの品物のなかにあっては、宣伝の効いた方をつい買ってしまうということは、私たちでもついやることであるから、国政選挙のように日頃会うことも話を聞くことも少ない人のなかから誰を選ぶかということになれば、つい見おぼえ、聞きおぼえている人の名を書くことは充分あることなのである。
 そこで選車から何をしゃべるか。
 初めのころは、政策を語らなければ、と思ったが、そうなると自分の名前を言う時間がなくなってくる。選車は一般公道を走っている。時速はサァ二、三〇キロぐらい。郊外で、田畑ばかりのところとかは、せいぜい四、五〇キロ、山の中で人影のないところでは六、七〇キロであろうか。仮に三〇キロで走ると一秒間で八・三メートル、一〇秒で八三メートル。選挙カーから二〇〇メートルも離れると地形などにもよるが、もう聞こえなくなることがある。とすれば、三〇秒も何かしゃべっていると、自分の名前は一度も届かないことになる。そこで、しゃべり言葉の合間に、しつこいくらい候補者の名前を挿んでおく。
 選挙では、訪ねて行くことが大事なので、選挙期間中、一ぺんもこなかったというと支持者からも不満の声が出る。そこで余計なことはできるだけ言わないで、名前を連呼することになってしまう。
 マイクを握る人には予めマニュアルを渡し、練習もする。しゃべる文句もいくつか例示しておく。ここで大事なのは、○○町の皆さんというように現に走っている土地の名前を呼ぶことである。できるだけ細かい方がいい。町村の名前ではなく、部落や市でいうと区の名前などである。ただ、ここで注意すべきは、箇々の会社や建物などの名前を呼ぶかどうか、である。土地をよく知った人がマイクを握るとつい会社の名前を呼ぶ。あたりが広くて、それ一つが目立っているところならよいが、いくつも会社などがあるなかで、特定の会社の名前を呼ぶと、呼ばれない会社の人は臍を曲げる懼れがある。だから、できるだけ呼ばない方がいいのである。そこの地区の関連の予算や計画などについて簡単に觸れることはいいが、くどくては却って反感を買う。
 昔、観光バスのガイドなどをしていた人などの場合、なかなか上手だけれども、言わば流すように、唱うようにしゃべる人がいる。なめらかでいいのだけれど、相手に訴える切実感が出て来ないので、できるだけそういう人を使わないようにした。
 ウグイスは声量がたりないので、若い男性、青年部の人たちも車に載せて交替でしゃべらすことにした。男の声は大きく、遠くに届くし、締まっている、と思った。
 しかし見ていると、若い人のなかでもマイクを握ることは異常に熱心だが、しゃべっているうちに酔ってきて、泣き声で怒鳴ったりするものがいた。そして、選車が停まって短い街頭演説の間、皆で車を降りて集まってきた人たちにビラを配ることにしているが、そういう人はそういう仕事は全然やらない。つまり、本当に私の応援に身も心もぶち込んで働く兵卒となるという心構えがない人と見えた。
 選車が走る道順は大体決まっている。過去何べん、何十ぺんと行われた選挙で自民党の組織を考えて、人の集まりそうなところを重点に走るのである。
 困るのは、部落ごとに呼び出しをかけているわれわれが濃密と呼ぶ遊説(ユーゼー、古く懐かしい表現である)の場合である。部落の指定の場所に集まった支持者にマイクを握って短い挨拶をした後、片はじから握手をして歩く。人数が十人かそこらの場合には問題ないが、数人も集まって、二列、三列になっているような場合は、握手をし忘れたり、二度握ったりすることがある。どちらもダメであるが、そうならないようにするのは、随分神経を使う。
 最初の選挙の時だったか、予想以上の人出の上に激しい雨が降ったりして、選車が遅れること二時間以上になったことがある。灯りもロクにない暗い道端で雨の降りしきる中を傘をさしてじっと俟ってくれる人たちがいて、涙が零れるような思いがした。冬にさしかかる時であった。
 車が予定より大幅に遅れる場合には、ルートを変更し、小さい部落はカットとすることがある。そんな時は、誰かが代わりに飛んで行って謝らなければならない。
 選車を使ってのいわゆる遊説の場合、町村ごとに引き継ぎが行われる(市にあっては校区ごと)。その場所には、後援会の幹部(議員が多かった)が集まって俟っている。その時間を余りたがわないように選車を動かさなければ苦情が出る。
 遊説の行列の一番前に先導車が走る。地元の地理などに詳しい人が乗る。選車にも一人乗り込んで来るが、その人が、細かい部落名などをウグイスに教える。
 走っている間注意しなければならないのは音量で、マイクを握る人が絶えず注意をしてアンプのつまみを廻していなければならない。直ぐ傍に建物が来たりすると声がハネ返って雑音となり、近所迷惑にもなるからである。
 選車が闘う相手の事務所の前を通過したり、相手の選車とすれ違ったりする場合、よく○○候補のご健闘を祈りますとしゃべるが、私はそれを止めさせた。相手の健闘を願う気持ちなど、これっぽっちもないのに、そう叫ぶのは偽善行為だと思ったからである。
 今頃は、そして、都会での選挙は違っていたようだが、私の選挙の場合、一頃は、先導車、選車、その地区の県議や町村長の車、後援者の車、殿の予備選車というように、多い時は十数台続いて走っていた。交通妨害の怖れがあると言われて、減らしてみたりしたが、車を並べることが選挙民に与える影響もあるようだったし、第一、誰かをついてこなくていい、と整理することも難しかった。
 選車は一台しか使用を認められなかった。というより、スピーカーを使うには選挙管理委員会の許可証が要ったのである。
 しかし、何かの理由で、例えば故障で、選車が使えなくなった場合に備え、予備車を準備しておいた。現に、何回目かの選挙の際、田舎の狭い田圃道を走っていた時、路肩の草を見誤って転落したことがあった。幸い稲の取り入れの時期であったため、豊かに実った稲穂の上に倒れ落ちたため、ガラスが何枚か破れたが、ケガをする人もなくてよかった。しかし、日程は変えられない。予備車を一緒に走らしてなかったのが手落ちであったが、直ぐ電話で呼んで来るまでの間、随行車へ乗ってハンドマイクで連呼しながら走ったことがあった。予備車を作っておいたので、一時間かそこらのことで済んだが、作っていなければ、えらいことになったと、胸をなでおろした。
 アンプが飛んだこともあった。それ予備車と、事なきを得たが、やはり用心はしておかなければと思った。
 選車と言えば、いつの選挙の時だったか、車に乗り込む時、天井に据えてあった機械の角に頭をぶつけて、骨に届くような裂傷をおい、直ぐ近所の外科医で縫って貰って半日休んだことがあった。これも今となっては思い出である。
 最初の選挙は中選挙区で鳥取全県一区。人口は日本で一番少ない県であっても、面積は一つの区としては広い。二〇日の選挙期間で六〇〇〇キロを走ったと記憶している。私の乗用車は二年間で一〇万キロを走ったこととともに忘れられない数字である。なお、その乗用車がちょうど一〇万キロに達してメーターの数字が再び全部〇となった瞬間に自宅の門をくぐるように指示し、そのようにして停まった車に安物だったがシャンパンを一瓶振りかけて労をねぎらったことも今思い出している。
 
 


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