back 理事長 相沢英之 のメッセージ
       「地声寸言」
  2010.08.24リリース

第七十六回 <「国有財産の積極活用」>
 財務省が国有財産を保育所や介護施設などに積極的に貸し出す方針を決めたという。賛成である。
 今まで国有財産の処分については、国会で随分多くの議論が行われてきた。とくに公用、公共用以外に売却した場合、いろいろ批判を浴びた例があるために、ある意味では、処分について慎重になり過ぎてはしないか、と思われる点があった。
 実際問題として、私が大蔵省で理財局長をしている時に、国会で採り上げられる問題は、それまでの理財局プロパーの用問題よりも国有財産関係の方が多かった時期もあった。その多くは処分問題で、具体的なケースについて、何故どこそこへ売ったとか、何故競売にしないで随意契約で売ったとか、売却値段が安過ぎたのではないか等々の質問であった。
 一般的には、国有財産の処分は原則として競売によるべきものとされているが、法律上も幾多の例外が設けられていて、公用、公共もとより、その他競売によらなくてもいい場合が例示されているので、それに従って処理されているのであるが、その処理の具体的な事例についての質問がかなり多かったのである。
 どうも、国有財産は市中の私有財産よりも安く売ってくれるものだという考え方をしている人も少なくない。それだけに、逆に売価が高すぎるといって文句を言われるケースもままあった。とくに、公用、公共用として地方団体に売却する場合などは、財政状況などを理由にして随分値下げを要求されたケースもあった。
 勿論、国有土地の売却などについては、算定方式があって、相続税や固定資産税の評価格、公示価格、近傍類地の実際の取引価格や、面積、地形その他価格算定の基礎となるべき要素が定められているので、そう飴細工のように恣意的に算定できるものではないが、それにしても算定の仕様によっては、多少の幅は生じてくるので、そのいわばのりしろのような所を攻めてくることがある。政治家の口利きもなしとは言えない。
 その間にあって、国の財政に資する意欲をもって、関係職員が鋭意努力をする、というような構図になっている。
 昭和60年台のバブル現象の大きな原因は土地価格の暴騰によることは明らかである。その背景にはわが国経済の急激な膨張があったことは言うまでもないが、世の中では列島改造論の推進による新幹線や高速道路の建設のための土地の買入れがバネになったと言われている。
 私も、そのことを否定するものではないが、列島改造論が如何にも間違った政策であったのごとく、批判されることには異議がある。
 列島改造論は言うまでもなく、当時の首相田中角栄氏の著者で有名となったが、私は基本的にその考え方は間違っているとは思わなかったし、今も思っていない。
 東京を中心とする首都圏、大阪を中心とする近畿圏を日本のいわば大きな目玉として開発を進めて行くという、それまでの構想は間違いであると思わないし、それなりの意味をもっていたと思っているが、ただ、それだけで良いのか、その二大都市圏の他の地域はそのまま放置しておいていいのか、と言われれば、当然強い反発がある。その声を代表して文字となったのが列島改造論である。
 あの本の真の著者は田中氏に近い経済学者下河辺淳であるとされているが、そのことの真偽はどうでもいい。要は、あの列島改造論は日本の各地方の政府に対する要望の声が集約されたものと見ていいのではないか。
 重ねて言うが、列島改造論によって、2つの大都市圏ばかりでなく、北海道も九州も四国も、すべての地域が新幹線や高速道路の建設を希求し、その完成の日を夢見るようになった。いつの日かは実現する、実現させようという気力は今でも大事なものである。
 悲しいかな、その後バブルの崩壊が意外に早く訪れた。列島改造計画に盛られた全国に新幹線と高速道路を張りめぐらす構想も今となっては白日の夢のごとく思っている地方も少なくない。然し、部分的には多少の手直しはあったにしろ、新幹線と高速道路の建設は徐々にではあるし、又、時に中断されながらも次第に進められて来ていることも事実ではないか。
 私の長い間の選挙区は鳥取県であった。山陰に新幹線を通すことを念願しつつ富山県選出の綿貫議員などと日本海縦貫高速鉄道建設推進議員連盟を作り、副会長となり(会長は綿貫氏)、山陰線の電化を促進し、伯備線の電化を実現、さらにリニアモーターカーの第一号を伯備線で実現させるように努力して来た。
 又、高速道路については、先ず岡山と米子を結ぶ米子道を完成、さらに山陰線、姫鳥線の全線に高速化に向けて努力し、今少しで実現を見るようになったのも、鳥取県にとって、山陰にとって、何よりも鉄道、道路の高速化が地域の発展にとっていかに大切かということを身に染みて痛感をしていたからである。
 田中角栄氏が異常とも言えるほど鉄道に愛着をもって上越新幹線の建設を最も熱心に首唱していたが、新幹線をどこを通すか、という議論の中で、大雪となれば、道路もダメ、最後に頼りになるのが鉄道だからな、と言ったことは忘れられない。通産大臣となっても鉄道建設公団の予算は田中氏と協議しなければ纏らなかったことを思い出す。
 重量税は田中幹事長の強い要請で実現したが、その際も重量税の収入の8割は道路建設、2割は新幹線の建設と在来線の複線・電化に充てることを念を押して言い、又、その通りの形でスタートしたが、それ位、鉄道に対する執念は強かった。
 話が少し外れた。本題の国有財産の話に戻す。ここでも田中角栄氏が登場する。田中氏が大蔵大臣の頃、1つの国有財産法に関する政令改正を行った。それは、新聞紙やテレビ局が業務の拡充のため社屋の建設を進めている時期であって、その用地として国有財産の払い下げの要望が強くなって来た。国有財産は原則として競争入札により売却するが、その原則に対する例外として、これらのマスコミの機関に随意契約で払い下げられように政令の改正を田中大臣の指示で実行したのである。マスコミの公益性に着目した制度改正であって、時代の要請を踏まえた妥当な措置であったが、当時は野党などからの批判はあった。
 国有財産の中で最大のものは国有林である。かつては国有林野特別会計に属していた。戦前は帝室林野局の所属であって、明治御一新の際、旧幕側諸大臣の所領地で没収されたものが主となっていたと聞いている。
 いずれにしても、この国有林は、かつてはサーベルを吊った山役人が監視をしていたところで、戦後は臨時も含めて約10万人の職員を抱え、その組合は全官公の組合の中でも力のあるものの一つであった。その強い要求もあり、常勤雇用労務者3万人を正規職員に組み入れたこともあった。
 その後、安い輸入外材に押され、採算が悪化の一途を辿り、昭和30年代には、「国有林野経営懇談会」で国有林の経営形態について綿密な検討が行われ、国有林公社の設立が答申されたが、組合の強い反対運動があったりして、実現に到らなかった。
 その後も、国有林の経営問題については、引き続き検討が行われ、国有林の経営主体としての性格よりも、緑資源の保持という環境面での役割りに目が注がれるようになり、一時は、林野庁農林省から分離して環境庁の外局とすべしというような議論まで行われた。
 私は、国有林は国の政策に沿って利用しうる大切な財産であるし、森林経営は相変わらず採算は、極めて困難ではあるが、飽くまでも産業としての林野経営の観点を失ってはならないものだと考えているので、環境庁へ移管などは反対であった。
 国有林の問題点の一つは、林野を処分するとその管理をしている職員の整理に繋がるという、かつて大蔵省の国有財産局の苦慮していたのと同じような事情が国有林の処分を妨げていた大きな原因であった。が、今は、そういう心配は少なくなったし、又、すべき時ではない。国有林と言っても峻嶮な山ばかりではない。裾山など、かなりの平坦地も含んでいるので、その積極的利用を進めるために処分を考えなければならない。又、売るだけではなく貸すことも積極的に考えたらよい。今までは、貸すといずれ売却しなければならなくなる、貸付けは一種の売却予約のように考えられていたので、極めて制限的にしか貸していなかった。
 今回、国有地の利用促進のために貸付けも促進しようという方針は賛成であるが、地価の下っている現在、無理に売ろうとすることは国益を損ずるもとであるから慎重にした方がよい。
 かつて、戦後、GHQの指示のもとに税収不足を補うために国有地を何でも彼でも売れとばかりに安い価格で売り、後に到って、国立大学の用地などの為に売った値段の何倍、何十倍もの値段で買い戻したことを想起するのである。売り急ぐことは、いずれにしても得ではない。
 ただ、ここで今思い出しても残念でならないのは、バブルの最盛期の頃か、国鉄の債務処理のために不用地の売却方針を決めた際、俄かに俟ったがかかって一切、成談中のものまで含めてストップしたことである。理由はいわれているが、その一つは、国鉄の土地の売却によって地価の一層の騰貴を招くか反対という説であった。
 私どもは、そんあバカなことはない。物の価格は主として、需給の関係で決まるのであるから、国鉄の土地の売却、即ち供給増によって土地の価格を下げこそすれ、上げるようなことはないといって、売却中止に反対したのであるが、押し切られてしまった。
 当時は、国鉄の不用地の売却価格は総額28兆円と見積もられていたと思う。国鉄の債務を引き継いだ国鉄清算事業団の赤字は総額27兆円で、もし予定どおり土地を売却していれば、赤字全額を解消して、なおかつ若干の黒字が残る、と計算されていただけに、その売却のストップは取り返しのつかない失敗であった。私ども国鉄財政再建計画に長いことかかわって来たものにとってはかえすがえすも残念でならない。
 これには裏話もある。不確かな話と思って下さって結構であるが、それは、東京都が国鉄の不用地の取得に強い関心をもっていたが、もし競争入札となれば、非常に高い価格で購入するか、場合によっては、他に取られる懼れがあった。売却に俟ったをかけたが、国鉄側がなかなか応じなかったので、遂に都は、もし当方の言い分を聞き入れてくらない場合は、公示価格の決定、その他国土庁関係の一切の業務について都は、協力を拒否、返上すると脅かされて、国土庁も仕方がなく、国有地の、従って国鉄の土地の売却についてもストップをかけた、という話を後日聞いた。
 私は嘘であってくれればいいと思っているが、半信半疑である。しかし、何故、国土庁は経済原則に反するような都のセリフを飲んだのだろうか、未だにわからない。
 大きなプロジェクトを実施するとなると土地の取得が先ず問題になることが多い。
 例えば、成田空港の開設。あれほど、用地の取得に苦労したところはないであろう。具体的な話はいずれ書く折もあろうか、と思っているが、反権力闘争の象徴的行事と見てか、当該成田の住人以外の人々の反対闘争は、今考えるとおかしいくらいに激烈なものであった。
 買収を拒否するばかりか、社会党の党首を初めとする議員など、数千人と言われた人達による一坪地主運動、住民以外の人間による団結小屋の建設、強制執行に対する実力的反対闘争、警官と反対派との物理的な闘いなど、当時、成田空港の建設予算にかかわっていた私としても理解を超える反対運動の動きがあった。
 不法な土地占拠による団結小屋に対して水道、下水道、電気、ガスなどの生活利便施設の供給など何故止めないか、と尋ねたところ、われわれは、その建物が違反であるか否かは問う立場にない、要するにそこに人が住んでいれば、要求があれば、工事をせざるをえないという返事を寄越した。
 土地収用委員会にかけて土地の収用を決定したらいい、と言えば、そうしたいが、土地 収用委員会の委員になった人に圧力、脅迫などがかかって委員に成り手がないので、土地収用委員会すら開けないのだ、という答えが返って来た。ここまでくれば何おか言わんやという心境になるではないか。
 成田空港の国際空港としての地位が羽田空港に脅かされつつある現状に焦りを感じているのか、最近千葉県側の動きは協力的な方向に転じているという。
 何といっても、地理的には成田は羽田よりも条件は良くないのであるから、今後、国際空港としての維持、発展を願うなら、当然、無理な要求は引き込めて、協力的な態度を表明することが必要だと思う。
 その点、中国は土地は凡て国のものとなっている。中国は断然有利である。何せ、土地の取得などに気をとられる心配は全くないのであるから。地図の上で線を引けば、あとは金さえあれば道路だろうと何だろうと、建設を進められる中国では、高速道路や高速鉄道など公用、公共施設の建設は実に眼が覚めるようなスピードで進められている。
 今年、久しぶりに北京に二度訪ねる機会があった。私の学長をしている東京福祉大学への留学生の募集のためであった。戦前の北京に住んでいた私にとって、北京の変貌は呆れるぐらいの激しさであり、又、もろもろの公共施設の建設があれよ、あれよといううちに造られて行くのを見て、そのことに関しては、羨ましくもあり、驚異を感じざるをえなかった。
 もっとも住民の側にしてみれば、三峡ダムの建設で百万戸の住宅が水没を余儀なくされたと聞くにつけても、その一方的、強制的な行政権力の対象とされない身の自由の貴さを思わざるをえないが。
 これと思い合わせるのは、モスコウとサンクト・ペテルブルグの間の一直線の鉄道線路がただの一ヶ所ちょっと歪んでいるのはピョートル大帝が線路の図面を引く時に定木がちょっと動いて線が曲がったせいで、レールはその歪んだ図の通りに建設されたのだという話を昔読んだことがあるが、独裁権力の偉さをつくづく思うにつけても、そういう国に住んでいない身の幸せを思わないではない。
 以上、いささか長々と述べてきたが、土地は凡てのものの建設基盤であるだけに、土地の有効利用に関しては、お互いにもっともっと賢くならなければならないと思うが、読者諸賢如何に思われるや。
 
 


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